本社の一角に建立されているのは鳥居と祠(ほこら)を持つ神社だ。祠に納められた白龍大明神はもともと松下家ゆかりの守護神。松下氏が1918年に大阪市内で創業した際、和歌山市内の生家で祀られていたのを「御霊分け」し、以来、本社に祀られているという。

 同社は全国の事業所に約100カ所の社を設置。全ての社で幹部・管理職が同席する月例祭を営む。田中さんは言う。

「こうした神事は直接、会社の利益にはつながりません。会社にとって利益をあげることは当然重要ですが、そればかりに目を向けていたら大事なことが見えなくなることもあります」

 国内製造業では昨年、検査データの偽装が相次いで発覚した。こうした世情であればなおさら、利益追求や効率一辺倒ではない宗教的価値観は社員のモラルを育み、長期的な企業の信頼醸成に寄与するものとして見直されるのかもしれない。田中さんはこう強調する。

「時代の変化によって私が立ち位置を変えることはありません」

 宗教とのかかわりは、日本の老舗企業の隠れた特色といえる。

「利益の追求を目的とする企業には、宗教的要素の介入する余地は全くないように思われますが、じつは多くの日本企業が、さまざまな形態の宗教行為を行っています」

 こう語るのは国学院大学の石井研士教授(宗教社会学)だ。

 敷地内に特定の神社を祀るだけでなく、社員研修プログラムに禅などの修行を取り入れる企業も珍しくない。会社が所有する企業墓もあり、ここに祀られた物故社員は、企業が存続する限り毎年供養を受けられる。会社や工場を新設した際の地鎮祭、年頭の集団参拝なども企業活動として広く浸透している。

 日本の企業はなぜ、「神」を必要とするのか。「企業の持つ集団主義」の表れではないか、と石井教授は説く。

 日本社会で集団主義を具体的に示してきたのは、地域共同体としての「ムラ」や血縁関係からなる「イエ」だった。「ムラ」では共同体のシンボルとして「神社」を祀り、「イエ」では構成員の統合シンボルとして先祖が祀られた墓や仏壇が設けられた。

「日本の企業がこうした伝統的な集団主義を保持し、集団主義を基盤にした一種の精神を持つとすれば、企業が神社を祀り、研修に宗教を取り入れ、企業の墓を持つことはさほど不思議なことではありません」(石井教授)

 企業の集団主義が生み出す同調圧力は、過労死という悲劇も招いてきた。一方で、猛烈に働く企業戦士によって支えられてきた「日本株式会社」の勢いにも陰りが見られる。時代とともに、企業と神さまの関係はどう変わるのか。

(編集部・渡辺豪)

AERA 2018年1月15日号

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渡辺豪

渡辺豪

ニュース週刊誌『AERA』記者。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図~普天間移設の内幕~』(第14回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞)、『波よ鎮まれ~尖閣への視座~』(第13回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)など。毎日新聞で「沖縄論壇時評」を連載中(2017年~)。沖縄論考サイトOKIRON/オキロンのコア・エディター。沖縄以外のことも幅広く取材・執筆します。

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