13年7月、唯さんは右足の切断手術に踏み切る。5カ月後、念願だったステージに復帰。「歌劇団の小さなメンバーが、足がない自分を怖がるかもしれない」「お客さんが不快に思ったらどうしよう」──そんな心配は杞憂だった。少女たちは再び唯さんと同じ舞台に立てることを喜び、ファンは手作りのうちわを振って迎えた。唯さんが倒れても支えられるように、大柄なメンバーが周囲で踊るフォーメーションを組んだ。

 しかし、がんは全身に転移。15年9月、体調が悪化して入院する。抗がん剤はもう効かなくなっていた。月末、雅美さんは唯さんを自宅に連れて帰る。

 肺に水がたまり、呼吸が苦しい状態が続いた。懸命に文字を打とうとしたが、力を失った手からスマートフォンが何度も滑り落ちた。脳への転移で片方の目が見えづらくなっていた。友達からたくさんLINEメッセージが届いていた。「『既読無視』になると悪いから」。唯さんはLINEを開かないように雅美さんに頼んだ。連絡が取れなくなった唯さんを、友達みんなが心配していた。

 亡くなるまでの18日間、家族と親戚、交際していた1歳上の彼氏に囲まれ、在宅医療を受けて過ごした。10月14日早朝、静かに旅立っていった。

 あれから2年。唯さんの死は友人たちの進路に影響を与えていた。

 中学時代、仲のよかった金谷唯香さん(20)は、義足をつけた人のリハビリが学べる大学に進学。理学療法士を目指す。小中学校の同級生・附柴央織(つけしばひろのり)さん(19)は農業大学に進んだ。自分には病気を治すのは難しくても、飢えに苦しむ子どもたちのために食品の研究をしたいという。やりたいことが見つからなかった自分を、唯さんが導いてくれた。

 最期まで生きる望みを失わなかった少女の生涯は、人々の胸に深く刻まれている。(朝日新聞記者・芳垣文子)

AERA 2017年11月20日号