ボウイ氏が「八幡巻」を購入した古川町商店街のうなぎ店「野田屋」。ファンが今でも時々買いに来るという=京都市東山区(撮影/楠本涼)
ボウイ氏が「八幡巻」を購入した古川町商店街のうなぎ店「野田屋」。ファンが今でも時々買いに来るという=京都市東山区(撮影/楠本涼)
ボウイ氏が天ざるを口にしたという老舗そば屋、晦庵河道屋(みそかあんかわみちや)の2階席。妻のイマンさんとの新婚旅行で祇園祭を訪れた際にも中庭を望むこの席に座ったという=京都市中京区(撮影/楠本涼)
ボウイ氏が天ざるを口にしたという老舗そば屋、晦庵河道屋(みそかあんかわみちや)の2階席。妻のイマンさんとの新婚旅行で祇園祭を訪れた際にも中庭を望むこの席に座ったという=京都市中京区(撮影/楠本涼)

 昨年1月に帰らぬ人となったロック歌手デヴィッド・ボウイ氏が京都を愛していたことは、以前から知られていた。京都市内に居を構えていたといううわさまで巷間ささやかれたが、真相は違う。ボウイ氏は京都に来るたびに、同じ「DAVID」という名を持つ外国人の邸宅を訪れていたことが誤解を生んだようだ。世紀のスターは何を求めて、その人物を詣でたのか。

【写真】デヴィッド・ボウイがそば屋で座った席はこちら

 ボウイ氏の訃報に触れ、京都のサブカルチャーに詳しい知人から以前聞いた話を思い出した。かつて東京の出版社からの依頼でボウイ氏の都市伝説を探ったという。彼は別荘があったとうわさされた山科区の九条山を歩き回った。すると、ある豪邸に「デビッド木戸」と書かれた表札を見つけた。「キド」→「キッド」→「子ども」→「ボーイ」→「ボウイ」。そう連想し、「ボウイの家」と報告したとのこと。冗談半分に聞いたが、何か引っかかるものがあった。本当は「キッド」という人の家だったのではないか。

 予想は当たっていた。

 取材を進めると「ディヴィッド・キッド」なる人物が住んでいたことが分かった。米国出身の東洋美術家として知られる彼は、自身が住む邸宅をかの桃源郷にちなんで「桃源洞」と名付け暮らした。そこにボウイ氏は遅くとも1980年代以降には、来日するたびに足を運んでいたと関係者が証言したのだ。

「それはすごい家でした」。「桃源洞」を訪れた人々に聞くと、誰もがそう語った。

 純和風の豪邸。中には世界中から集められ、陳列された仏像や書といった古美術品が、間接照明で浮かび上がる。畳の上には毛氈(もうせん)が敷かれていた。庭からは京都が一望でき、夜には美しい夜景が眼下に広がる。

 隅から隅まで一流の美学に貫かれた館。キッド氏はそこで骨董品の売買もしていたようだ。大学教員時代に出会った森本康義氏と、教え子の女性の3人で暮らし、国内外のセレブたちを招いていたという。「桃源洞でのキッド氏はまさに『君主』然として、そのたたずまいは美しかった」。「桃源洞」での時間を尋ねると関係者は、まるで夢の中の出来事のように宙を見つめ、まばゆそうに振り返るのが一様に見せた反応だった。

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