岡崎泰旦(おかざき・やすゆき)/1981年生まれ。22歳で宅建挑戦を決意し、5ヶ月後の試験で合格、翌年には上京を果たした(撮影/工藤隆太郎)
岡崎泰旦(おかざき・やすゆき)/1981年生まれ。22歳で宅建挑戦を決意し、5ヶ月後の試験で合格、翌年には上京を果たした(撮影/工藤隆太郎)

 新進気鋭の起業家たちは、高校選びでどんなことを重視したのか。FPと不動産専門職の各エキスパートが手を結び、不動産をなどの資産を形成するサービスを提供する「マネぷらホールディングス」を、若杉光さん(専務取締役)とともに設立した岡崎泰旦社長はこう話す。

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高校選びで重視すべきなのは、本人が得意なことや、努力してきたことに対し、高い目標値を設定できる学校かどうか、ではないでしょうか。数学が得意な人に物理も化学も頑張りなさいと言うのではなく、数学での面白い「先」を見せてあげられる高校。得意な分野を武器にして起業し、困難を乗り越えてきた今、改めて思います。

 最初に入った地元の愛媛県の高校は1年の1学期で中退。そこは普通高の普通科で、面白さが見えなかった。そこでいったん社会に出たんですが、16歳の子どもがやっていけるほど世の中は甘くない。ちゃんと生き直そうと、親が見つけてきた黄柳野高校に1年遅れで入りました。

 中退者やすごく内気なタイプ、その真逆なタイプなどさまざまな子どもを受け入れている自由な高校でしたね。先生を「先生」ではなく「スタッフ」と呼び、生徒がやりたいと言って始めたことを否定しない。これまでの先生のイメージは「敵」でしたが、全然違うんです。全寮制で、出身も学年もタイプも全く違う人が同じ空間で暮らしたのも大きかった。いろんな人間がいるんだ、ということを学ぶことができました。

 卒業後、高専を経てトラックのドライバーをやりました。何かしなければならない、でも何をしていいかわからないと強烈に焦りを感じていました。そんな時、ベンチャー企業を起こした若手経営者の本を読んだのです。高卒で非行にも走ったことがあるその人は、宅地建物取引主任者(現・宅地建物取引士、宅建)資格を取って不動産の世界に入り、年商数十億の会社を起こした。自分と同じ年齢で、大学にも行かなかった人が、と衝撃を受けました。「宅建だ」と興奮し、運転の合間の時間を使ってすぐに勉強を始めたんです。

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