内向き社会と言われながらも、テレビでも、街の中でも多く見かけるようになった。在日外国人やダブル(ハーフ)の人びと。彼ら・彼女らの目に映る現代の日本の姿とは──。日本文学研究者で、国文学研究資料館長も務めるロバート・キャンベルさんに話を聞いた。
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「日本人のここが変」を問うような企画は、本当は大嫌いなんです。いつから日本人は、外からどのように見られているかを気にするようになったのでしょうか。かえって過剰な承認欲求を感じます。私の専門である江戸・明治時代の文学にはほとんど出てこない考え方です。
ここに通じるのが「空気を読む」です。イメージするのは、お吸い物に浮かぶジュンサイ。ジュンサイは透明の膜に覆われている。この膜が「世間」であり、ぶつかりながらもお互い傷つけ合わないようにお椀という狭い世界の中でたゆたっている。一つの標準化された価値に対し、みんなで歩調を合わせることが求められる。これが現代の「空気」なのです。
江戸、明治時代では違う意味合いを持っていました。当時、儒者は塾生たちとよく外に出かけ、高い山に登り、空を眺めた。そこには空気の「気」でできた雲が浮かんでいます。雲は自在に変化する。それを見て塾生たちは自在に想像力を働かせ、自由に文章を綴りました。
雲を突き詰めて考えるとどういう形か。雲の中には雲散霧消するものもあれば、恵みの雨をもたらせてくれるものもある。それをどう見極めればいいか。そこには正解も間違いもなく、自由な意見の交流がありました。