一方、今は事前に席が決められているため、当日は名札が貼られた席に座るだけで、空気を読む必要すらなくなった。同時に、以前のような何かを問題提起できる空気すら消えたという。大切なのは、決まっている計画を流れ作業のように滞りなくこなしていくこと。そこにあるのは、話し合うのは面倒だ、頼むから意見なんて言わないでくれと言わんばかりの、思考停止へといざなう同調圧力だけだ。

「ママ友が映画『千と千尋の神隠し』のカオナシに見えるときがあります。何を考えているのか全く分からない。学校やPTAを忖度しすぎるため、ボランティアを欠席した保護者へはひどいバッシングを行う。きっかけがあればあっという間に隣組化するような不穏さを感じます」(Cさん)

 昔は保護者同士で飲み交わしながら、学校やPTAのことから時事問題まで、意見の違いを面白がりながら侃々諤々言い合えたが、今は新しくできたランチスポットや家族のことなどあたりさわりないことしか話題にできない。

 武庫川女子大学生活環境学部講師の井上雅人さんは言う。

「今の状況は流動的な空気を読んでより良いポジションに行こうというより、固定された空気に合わせるというあきらめの感情に近いものを感じます。社会を築いていくには皆で協力することが必要ですが、日本社会の中の協力は、上の指示に従いひたすら我慢する『組み体操』のイメージが大きい。批判と悪口の区別がつかず、アドバイスすると怒り出す学生が増えていますが、批判し合って建設的な議論や共同体験を重ねる機会を与えることで改善するのではないでしょうか」(編集部・竹下郁子)

AERA 2017年8月14-21日号