昨年8月、「象徴の務め、難しくなるのでは」と退位の意向を示唆するビデオメッセージを公表した天皇陛下。「お言葉」から今日の天皇制を考える。6月12日に行われた、『「天皇機関説」事件』発売記念トークイベントでの、山崎雅弘さんと内田樹さんの対談を公開する。
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山崎雅弘(以下、山崎):1935年の天皇機関説事件は、天皇制のあり方を客観的に論じることが、事実上タブーになるきっかけとなった出来事です。しかし、事件の名前は知られていますが、実際にどういう出来事だったのかを全体として語ることができる人はあまりいない。これは何とかしなければいけない、ということで執筆したのが『「天皇機関説」事件』です。
内田樹(以下、内田):僕は50年生まれですが、子どもの頃は天皇制についての深みのある議論を大人たちがしていたという記憶がありません。天皇の名を借りていばり散らし、理不尽の限りを尽くした人間たちの記憶があまりにも生々しくて、「天皇」というとその不快な経験を思い出すので、その話はしたくないということだったと思います。
山崎:戦後70年も経った今でも、なぜ天皇制が先の戦争のような大きな災禍を生み出してしまったのか、本来どうあるべきだったのかも、あまり語られませんね。
内田:去年の天皇の「お言葉」をめぐって、たぶん戦後初めて日本人は「天皇制とは何か、いかなるものであるべきか」について本気で考えるようになった。僕も今「天皇論」を書いているところですが、きっかけは明治維新から後、天皇制はどうあるべきかについての議論が深められていないことに改めて気がついたからなんです。
●国民に投げたボール
山崎:私自身、天皇の「お言葉」で特に驚いたのは、「個人として」という立場を明言されたことです。自分は「独立した考えを持つ人間」として今からしゃべります、と最初に言われたので、すごく身近に感じました。そして最後に「制度上の問題がいろいろと生じているので、皆さんで考えてくれませんか」と、日本国憲法上の主権者である国民に対して頭を下げられた。それを考えると、政府の主導で出された「一代限り」という結論はおかしいと思いました。
内田:「お言葉」の中で印象的だったのは「象徴」という言葉を8回使われたことです。天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると憲法第1条は定めていますが、この「象徴」という語を僕たちはただ「記号」という意味でしか理解していなかった。象徴はどうあるべきかという、その働きについて議論をしたことがなかった。