檀家やお布施の収入が少なくても、工夫を凝らす寺もある。岐阜県神戸町の大源寺(臨済宗妙心寺派)は、寛文元(1661)年から続く。曽祖父の代から世襲になり、住職の桑海一寛(くわうみかずひろ)さん(40)は、4代目にあたる。

 120世帯ほどの集落に檀家は8軒。大垣市や京都に4軒が散らばり、合わせて12軒。お布施収入に頼らず、代々兼業で働いてきた。祖父は中学校教師、父は市役所に勤めていた。長男の一寛さんは、自然と寺を継ぐと思っていた。だが、小学校3年生の時、住職だった祖父が亡くなる直前、副住職の父親が自死。本寺が住職を兼務し、一寛さんは小学生で見習いの立場になった。「お経の練習に」と声をかけてくれた檀家に、経を読みに通った。

 大学卒業後に僧になるつもりだったが、本堂の傷みが激しかった。「住職にならないことには、修復もままならない」。1年で大学を休学し、修行に出て、20歳で住職になった。復学して大学を卒業した後、働きながら僧侶を続けた。就職氷河期で苦労もし、年金徴収員もお寺の従業員もやった。現在は名古屋市内の役所に嘱託勤務している。

●週末は他寺の手伝いに

 檀家の法要は年に数えるほどなので、週末は葬祭業者紹介の仕事や他寺の手伝いに出る。寺の年間収入は約300万円だ。

「祖父の代の収支計算書を見ると、1年の布施収入が60万円で、40万円は祖父が個人収入から寄付して資金繰りをしていました。私の個人収入は祖父には及びませんが、お寺の財務状況はよくなっています。基盤をつくって、次の世代も続くお寺にしたい。仏教界の危機は、きちんと布教せず、葬儀や法要だけに頼ってきたことの結果では」

 3年前、寺新聞の発行を始めた。戒名はなぜ必要か、色即是空はどういう意味か──。思いのほか反響は大きく、「今までわからなかったことを教えてくれた」「身近なところに仏教の教えがあるんだな」との声が、檀家以外からも寄せられた。かつて寺の境内で紙芝居が行われ、子どもが集まったように、人が集まる仕掛けをつくっていこうと決めている。

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