「最後のほんの数日、父の看護をする機会に恵まれたんです。おむつを替えて、喉を湿らすためにスポンジでお水をあげて。赤子のように身をゆだねている父の姿に、それまでのわだかまりも、すべて消え去りましたね」

 入社約半年で社長になり、井上ひさしという偉大な存在を、劇団まるごと引き継ぐことになった麻矢さん。単に親の死を受け入れ、乗り越える以上の重圧があったのではないか。

「井上ひさしは、みんなのものなんです。私が父の死を背負うだなんて、おこがましい。父は作品の中に生きています。それが時代を経て、舞台を作る人、演じる人、見てくださる方、みんなで分担して背負っていただいてる。そんな感覚です」

 2年ほど前、父の残した構想をもとに「母と暮せば」という映画を制作した。山田洋次監督は「人は誰でも大切な人を亡くして、その悲しみと向き合い、受け入れ、立ち直っていく。そのプロセスを『喪の仕事』と呼ぶのだ」と教えてくれたという。親の死を目の当たりにしたり遺品を手にしたりするなど、死を実感できた人ほど、「喪の仕事がはかどる」のだという。

「まずは10年、やってみなさい」

 これが父、ひさしさんとの約束だった。

「父が死んで7年、劇団を受け継いで8年。あと2、3年はがんばらないと。誰かに引き継ぐにしても、少しでも良い状態でって思ってますから(笑)」

(ライター・浅野裕見子)

AERA 2017年7月10日号