●延命しても苦しむだけ

 潔い最期でした──。

 2年ほど前に父を看取ったA子さん(医療事務・56)は、父の最期を振り返る。

「末期がんだった父は『延命治療は一切しない』という意思がとても固かったので、それに同意するしかありませんでした。同意書にサインをするのは死ぬことを後押しするようで後味が悪かったのですが、『このまま延命しても痛みで苦しむだけだから』という看護師さんの言葉に自分を納得させました」(A子さん)

 さらに父は、母やA子さんたちに葬儀や相続で煩わしい思いをさせたくないと、葬儀会社の手配も友人たちに託し、自宅や土地を母の名義に変更していた。亡くなる10日前には株も現金化して、現金は孫に教育信託として贈与した。

「私は実家を出て四半世紀以上経つので、どこに何があるのかもわかりませんでした。頼りになるはずの母も父が亡くなった後は悲しみのあまりうつ状態で『何もわからない』を繰り返し、その後、認知症になってしまったので、父が私の娘たちに遺したお金も、『私たちが取った』と思い込んで、納得していない様子です」(同)

●親のそばに寄り添う

 5年前のある日突然、父がくも膜下出血で急死したとき、B子さん(団体職員・34)の母が受けたショックは大きかった。

「母が憔悴して父の葬式では役に立たず、私と妹で乗り切りました。父が以前、祖父母や伯父の葬式の喪主をしているのを、私たちが手伝った経験がなければできなかった。母は身のまわりのことが一切できなくなり、心療内科を受診させ、私はその間、1週間休暇を延長して母に付き添いました」(B子さん)

 投薬の効果もあって、少しずつ落ち着きを取り戻したが、母は8カ月ほど休職を余儀なくされた。

 母を看取った前出の永峰さんは言う。

「私が実感したのは、親の死去でショックを受ける度合いは、子どもよりも残された親のほうが大きいという点でした。立ち直るには相当な時間がかかりますが、それが当然と割り切り、親のそばに寄り添うことが大事だと思います」

(ライター・村田くみ)

AERA 2017年7月10日号