●「関心事が和平対話に」

 当時、同じく女性の財団担当者と2人で始めた支援事業は、ジャーナリストの育成や若者の能力向上訓練など。しかし、堀場さんは地元住民との関係を深める中で、紛争解決につながる支援をしたいと思うようになったという。

「私の関心が和平対話にあったので、事業の内容もどんどんそちらへシフトしていった。そこでタイ議会のシンクタンクにあたる団体に和平対話を始められないか相談すると、波長が合った」

 タイ政府も交渉相手の実態を知りたがっていた。シンクタンクが武装勢力との接触を模索する中、堀場さんがキーパーソンになっていった。不信感から積極的に話そうとしない武装勢力が堀場さんとは会話する。これを見たシンクタンク側は、堀場さんに交渉への積極関与を求めた。マレーシアやドイツ、スウェーデンにいる指導者たちにも一緒に会いに行った。

●隣国マレーシアも協力

 堀場さんは、マレー語に近いインドネシア語が得意で、武装勢力側の要望を聞きながら、和平対話への参加を促した。一番の武闘派組織の指導者とは会えていないが、それ以外の各組織の指導者とは信頼を深めていった。双方の関係者を別々に集め、過去の和平対話の成功例をレクチャーするなど、独自の取り組みも始めた。

 このころ、仲介に関心を示したマレーシア政府の高官とも面会。タイ国家安全保障委員会や軍、法務省などの実務者とも直接やりとりするようになり、和平対話への機運が徐々に高まっていった。堀場さんは言う。

「多くの人と会い、信頼を築くのが重要だった。第三者の民間人で同じアジア人だったことが良かったんだと思う」

 もちろん常に危険は伴う。タイ深南部でのテロ行為は今も続いており、「3県のどこかで毎日1人は死んでいる」という。爆弾テロの場所に居合わせれば命がないが、堀場さんは「なるべく安全な場所で活動するようにしているし、どこが危ないかの勘も働く。地元の人が守ってくれる」と話す。

 努力も報われ始めている。13年2月、仲介役のマレーシアがタイと水面下で首脳会談を開き、武装勢力との和平交渉の開始で一致。政権交代後もタイ政府は非公式に対話を継続していたが、16年9月に公式に発表した。堀場さんは現在、正式に笹川財団の主任研究員となり、今は1人で紛争解決事業を担当。日本とタイを行き来する生活を送っている。

「まだ和平は成立していないけど、頑張っていると思いませんか」と笑う堀場さん。日本政府に和平支援への協力を相談したが、民間人の紛争地入りに懸念が示されただけだったとし、こう続ける。「私は1人でやりたいわけではない。官民が協力して紛争解決するのが一番いい。日本人は仲裁に向いている」

 自らが実践し、日本でも理解が広がることを期待しながら、またタイに出発する。

(編集部・山本大輔)

AERA 2017年5月22日号