紛争仲裁は、堀場さんの高校時代からの夢だったという。京都の高校に通っていた当時、泥沼化していた旧ユーゴスラビア(現セルビア、モンテネグロなど)紛争の様子を報道で追いながら「ひどい」と心を痛めていた。民族紛争だったが、政治のことはよく分からず、キリスト教とイスラム教の宗教紛争と理解していたため、「宗教的に中立な日本人なら紛争仲裁ができるかもしれない」と感じたという。この思いこそが原点だ。

●住み込んで会話し調査

 宗教を熟知するため、上智大学神学部に進学。3年生から2年間、バチカン市国教皇庁立の名門、グレゴリアン大学に留学した。さらに宗教と平和の関係を学ぼうと米ボストンの大学院で実践神学を習得してから上智大学大学院に戻る。この時、キリスト教とイスラム教の住民対立で激しい地域紛争が起きていたインドネシア・マルク諸島に2年間滞在、現地調査をした。

 そこで気づいたのは、研究者の宗教の違いで生じたハードルだ。欧米の研究者らも現地にいたが、キリスト教徒だったため、イスラム教徒の地区に近づけない。一方、特定の宗教を持たない堀場さんは、両教徒の地区にそれぞれ住み込んで調査ができた。多くの当事者と会話して信頼を築きながら、さらに話を聞き出すという調査方法は、この時に身につけた。宗教の呪縛にとらわれない日本人だからこそできることが多くあると確信したという。

 大学院卒業後もインドネシアで独自の調査を継続。紛争解決が専門の非政府組織(NGO)が活動しており、民間でも紛争仲裁ができることに自信を持った。実際、スイスのNGOの現地調査員を買って出て、ノウハウを学習。世界には、民間と協力して紛争解決を目指す外交をする国が複数あることも知り、紛争後の復興支援に偏りがちな日本の支援のあり方に疑問も抱いたという。

 そんな矢先、10年に笹川平和財団がタイ深南部での支援事業を立ち上げた。その際に、上智大学のイスラム地域研究の協力者として同地域の調査をしていた経験を持つ堀場さんに声がかかった。

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