11年3月11日。大地震と津波の後、福島第一原発では原子炉建屋を次々と吹き飛ばした水素爆発などにより、大量の放射性物質が大気中に飛散。多くの住民がふるさとを追われた。それから約1カ月後の4月下旬、立地地域部長だった石崎は、当時の社長・清水正孝に同行し、避難所になっていた福島県郡山市内の施設に謝罪に行った。

 そこには、富岡町に住んでいた福島第二原発の所長時代、家族のように親しくなった人が数多く避難していた。石崎は、避難者たちの間を土下座して回った。その時、

「お前は世界最大の公害企業の手先だ」

 そんな怒声を石崎にぶちまけてくる男性がいた。知り合いの一人で、富岡で商売をしている人だった。

 避難所を出る時、石崎は「覚悟」を決めた。知っている人たちをこんな目にあわせ、自分だけ福島から逃げちゃあ絶対いけない、と。

 13年1月、福島復興本社ができると、代表に任命された。「宿命だ」と、思った。以来、呼ばれれば休日でも、どこにでも出向き、住民と対話する。

──東電が犯した最大の罪は何だと思いますか?

 記者は、東電の副社長でもある石崎に、もっとも聞いてみたかった質問をぶつけた。

「人々の日常を奪い、家族や地域のコミュニケーションを奪ってしまったことだと思います」

 間をおかず、こんな言葉が返ってきた。(文中敬称略)(アエラ編集部)

AERA  2016年5月16日号より抜粋