細田守が「学生時代に対峙した相手」黒田清輝を語る (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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細田守が「学生時代に対峙した相手」黒田清輝を語る

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作品が教科書にも載っている画家・黒田清輝(※イメージ)

作品が教科書にも載っている画家・黒田清輝(※イメージ)

 作品が教科書にも載っている画家・黒田清輝。その高名さと裏腹に、人物像はあまり知られていない。開催中の生誕150年記念の展覧会を、世界に注目される映画監督、細田守さんと見て回った。

 アニメーション映画「バケモノの子」などで知られる細田守さんは、美術大学の油絵科卒業だ。

「美大で学んだ人間からすれば、黒田清輝は今に至るまで続く、日本の美術界を支える制度を作った権力の権化として、学生が最初に対峙する相手でした」

 細田さんが入った美大では4年間毎日、午前中は裸体デッサンの授業があった。

「黒田が日本に持ち込んだ教育メソッドが、100年以上経っても生きていたんです」

 黒田清輝は幕末の1866年、薩摩藩士の息子として誕生。後に貴族院議員になるなど、政界でも名を残した。18歳になる年に渡仏したのも、当初は法律を学ぶ目的だったが、日本人画家たちとの交流から画家になる決意を固めていく。

「生誕150年 黒田清輝」の会場では、レンブラントの模写など、パリでの画学生時代の作品が最初に展示されている。

「権威としての黒田のイメージしかなかったけど、こんなにみずみずしい絵を描いていたんですね。親近感がわくなあ」

 黒田が滞在したのは、ベル・エポックと呼ばれ、芸術文化が華麗に花開いた時期のパリだった。そこで青年・黒田が得た刺激ははかりしれなかったろう。


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