「彼(井阪社長)は、7年間の成果は全部自分がやったという言い方をし、私が否定すると、けんか腰で食ってかかってきた」「社長を続けさせれば将来に禍根を残す」

 1963年にヨーカ堂(現イトーヨーカ堂)に中途入社した鈴木氏は、全米でセブン-イレブンを展開していた米サウスランド社に注目。周囲の反対を押し切って日本国内でのライセンス契約を結び、74年に東京・豊洲に1号店を開店。商品の売れ行きを一品ごとに把握する「単品管理」を導入するなど、日本式のビジネスモデルを確立し、コンビニを日本に根付かせた。 

 92年、伊藤雅俊氏(91・現セブン&アイ名誉会長)の後を受けてグループのトップに就任。その後もコンビニ銀行「セブン銀行」や、「セブンプレミアム」などの商品開発にも力を注いだ「コンビニの神様」的存在だ。昨年末に緊急入院するなど体調不安説も流れたが、他の追随を許さないカリスマ経営者として業界に君臨し続けてきた。

 一方で、「鈴木マジックは薄れつつあった」(関係者)との指摘もある。井阪社長や古屋副社長ら複数の幹部が現場をリードするようになり、鈴木氏がいなくても回る体制が構築されたというのだ。生え抜きで腰が低く、気配りの人の井阪社長と、現場をぐいぐい引っ張る「兄貴分」の古屋副社長らでバランスが取れ、「最近ではセブンカフェの新商品など、鈴木会長には決まったことを報告するだけという例も増えていた」(同)。

「外圧」も強まっていた。昨年秋、「物言う株主」の米投資ファンド、サード・ポイントがセブン&アイの株主に。採算性の低いイトーヨーカ堂をグループから切り離すことなどを要求した。昨年、セブン&アイの取締役に就いた鈴木氏の次男、康弘氏(51)について、「縁故」で人事をしないよう求める書簡をセブン&アイの取締役に送りもした。

 今がタイミングだったかはともかく、よくも悪くも鈴木氏の「個人商店」として拡大を続けてきたセブン&アイが、組織的な経営体に脱皮する必要性に迫られていたのは間違いない。(アエラ編集部)

AERA  2016年4月18日号より抜粋