「自主避難者」住宅の無償提供が打ち切り! 福島県「17年3月まで」と発表 (2/4) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「自主避難者」住宅の無償提供が打ち切り! 福島県「17年3月まで」と発表

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フリーライター・吉田千亜AERA#原発
河井さん宅に取材に行ったのは午後3時ごろ。母の目線の先には、近所の子どもたちと遊ぶ娘の姿が。子どもたちには「避難者」かどうかは関係ない(撮影/写真部・植田真紗美)

河井さん宅に取材に行ったのは午後3時ごろ。母の目線の先には、近所の子どもたちと遊ぶ娘の姿が。子どもたちには「避難者」かどうかは関係ない(撮影/写真部・植田真紗美)

●国の避難指示出ると信じた

 原発事故以前の日本の年間被曝限度は1ミリシーベルト。原発事故後は、これが20倍になった。自主避難者の多い福島県の中通りやいわき市の事故直後の放射線量は、この基準には達しないものの、平時の数百倍から1千倍。正確な放射線量や被曝の影響についての情報が錯綜(さくそう)する中、自分の住む地域にも避難指示が出ると信じて避難した人も多くいた。

 6月15日の記者会見で内堀雅雄・福島県知事は無償提供打ち切りを「帰還や自立を促すため」と説明したが、戻る場所がないケースや自立できないケースも少なくない。

「原発離婚」という言葉がある。子どもの被曝リスクを減らすために避難を選択した妻と、避難は必要ないと考えた夫。避難生活を支えるために離れて暮らすうち、気持ちがすれ違ってしまった家族。取材の過程で多くの避難者に出会ったが、原発事故後に離婚したという夫婦は5組や10組ではない。

 冒頭の河井さんも避難を巡る意見の食い違いで夫と離婚していた。栃木県内の避難所、親戚宅などを転々としてたどり着いた埼玉県の公営住宅。避難に否定的だった夫は同行せず、避難先での生活費も自分で工面するしかなかった。すぐに保育園と仕事を探し、病院の看護助手としてフルタイムで働き始めた。慣れない土地での生活。仕事をしながらの孤独な子育て。夜が来るたびに泣いて過ごす半年間を経て、11年11月に離婚した。

 酒浸りになった時期もある。一番守りたかった子どもたちに一日中留守番をさせてでも働かざるをえず、精神的に追いつめられ、思わず子どもに手を上げかけた。そんな毎日を少しでも明るくしたくて、思いきってカーテンを買い替えたとき。新しいカーテンを見た近所に住む女性に投げかけられたのは、こんな言葉だった。

「避難者はいいわね、お金がもらえて」

 そもそも自主避難者は、複数の共通する困難を抱えている。


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