一つは、経済的な困難。「すべての避難者には東京電力から高額な賠償金が支払われている」という誤解があるが、強制避難者なのか自主避難者なのかによって、受け取れる賠償金や支援には大きな違いがある。

 例えば、帰還困難区域から避難している4人世帯の賠償実績は、2013年時点で1億円(財物・就労不能損害・精神的損害)。これが自主避難者の場合、18歳以下の子どもと妊婦は1人につき68万円、大人は1人につき8万円が基本。河井さんが手にしたのはこれにわずかな追加賠償を加えた約150万円のみだ。母子3人の避難生活を支える金額としては、あまりにも少ない。住宅の無償提供は、自主避難者に対するほとんど唯一の経済的支援だった。

 二つ目は、孤独や孤立という困難。原発事故以前のコミュニティーから切り離され、河井さんがそうだったように、避難先では「勝手に避難してお金をもらっている人たち」という視線にもさらされている。

 三つ目は、未来の生活を描けないという困難だ。自宅のある地域の放射線量は、今後どう推移するのか。どこまで下がったら戻るのか。このまま下がらなかったら、避難先に永住するのか。避難先の人に「いつ帰るの?」と聞かれて困惑したという話はよく聞く。

 そして最大の困難は、避難に伴うあらゆることが「自己責任」とされてしまうことだ。

●私のせいじゃなかったはず

 磯貝潤子さん(41)は、2人の娘とともに福島県郡山市から新潟県に避難し、現在もそこで暮らしている。避難を決めた当時、自宅の放射線量は、原発事故前の30~50倍。部分的には500倍にもなった。「ここで子育てはできない」と判断した彼女の自主避難を、「自己責任」と片づけてしまっていいのだろうか。

 福島県内で仕事を続ける夫の月収は、30万円に満たない。磯貝さんもパートで月に5万円ほどを稼ぎ二重生活を支えるが、自宅の住宅ローンの支払いも継続中で、保険を解約した払戻金や貯金を切り崩して、なんとか生活している。自宅売却も考えなければならないかもしれない。

 そんな矢先の無償提供打ち切り。避難先で家賃を支払う余裕はとてもない、と磯貝さんは言う。長女は来春、新潟市内の高校を受験する予定。すぐには地元に帰れない。それでも郡山市から住民票を移さず税金を払い続けるが、いまは地元から見捨てられた気持ちだと言う。

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