福岡と内藤は名古屋大学大学院工学研究科の同期生。内藤はソニーで車載カメラの開発に従事し、福岡はオリンパスで医療機器の研究開発に携わる、共にエンジニアだった。当時、2人は同窓の仲間とアパートの一室を借り、会社の垣根を越えて同世代のエンジニアが集うサークルを主宰していた。杉江も、そのサークルのメンバーの一人だった。

 意気投合した3人は、それぞれの会社に勤める傍ら、プライベートな時間を見つけては開発に没頭するようになる。

 転機となったのはその1年後。2011年に開催された東京モーターショーだった。コンセプトは、「健常者にも乗ってみたいと思わせるカッコよくてクールな車いす」。試作品を展示したところ国内外から予想以上の反響があった。
 
 12年5月。3人は勤めていた会社を辞め起業。ハードウェアを開発するベンチャーの成功は困難という業界の常識をよそに、次世代パーソナル・モビリティーの開発・販売を行う現在の会社を設立した。翌年には市場規模が大きい米国に本社機能を移転。杉江は本社のあるシリコンバレーと日本を往復する生活を続けている。

 同年、杉江のもとに心強いメンバーが合流する。大手自動車メーカーでエンジニアとして働いていた坂東一夫(67)だ。坂東は、前職の会社の新規事業で工業用ロボットや電動車いすの開発に携わっていた。

 坂東はロボット工学で使用されるオムニホイールを採用することで坂道を自由に上り下りできる機能性を実現した。

 こうして14年9月、米国で1100万ドルの資金調達にも成功したWHILLは、満を持してその製品第1号となる「WHILL Model A」を発売。1台95万円(当時)。先行予約の50台はたちまち売約済みとなり生産を委託していた台湾のメーカーでは、すぐに増産に追われた。

(文中敬称略)

AERA 2015年6月1日号より抜粋

[AERA最新号はこちら]