日清食品「即席ラーメンと、ずっと」マーケティング部第4グループ ブランドマネージャー 木所敬雄 (42)撮影/写真部・東川哲也
日清食品
「即席ラーメンと、ずっと」

マーケティング部第4グループ ブランドマネージャー 木所敬雄 (42)
撮影/写真部・東川哲也
川崎フロンターレ「このクラブで『世界』に」サッカー事業部 営業部 スポンサーセールスグループ 副グループ長 井川宜之(38)撮影/写真部・東川哲也
川崎フロンターレ
「このクラブで『世界』に」

サッカー事業部 営業部 スポンサーセールスグループ 副グループ長 井川宜之(38)
撮影/写真部・東川哲也
ABC Cooking Studio「料理教室で、出会った」経営企画部 マネージャー 森本麻緒(37)撮影/朝日新聞社・時津剛
ABC Cooking Studio
「料理教室で、出会った」

経営企画部 マネージャー 森本麻緒(37)
撮影/朝日新聞社・時津剛
リングヂャケット「スーツを、描く」パターン室長 谷譲(39)撮影/写真部・東川哲也
リングヂャケット
「スーツを、描く」

パターン室長 谷譲(39)
撮影/写真部・東川哲也
盛岡セイコー工業「技術者集団を、見守って」雫石高級時計工房 組立工房 課長 泉田勝博(49)撮影/伊ケ崎忍
盛岡セイコー工業
「技術者集団を、見守って」

雫石高級時計工房 組立工房 課長 泉田勝博(49)
撮影/伊ケ崎忍

 いま日本の組織で一番働き、そして一番つらいのは「課長」ではないか―― その課長に光を当てる企画「ニッポンの課長」がアエラにて好評連載中だ。

【ニッポンの課長フォトギャラリーはこちら】

 現場を駆けずりまわって、マネジメントもやる。部下と上司の間に立って、仕事をやりとげる。それが「課長」だ。

 あの企業の課長はどんな現場で、何に取り組んでいるのか。彼らの現場を取材をした。

 今回は特別編として、5つの会社の課長を紹介する。

*  *  *
■日清食品
マーケティング部第4グループ ブランドマネージャー
木所敬雄 (42) 「即席ラーメンと、ずっと」

 出社すると、やかんから湯気が立ち上っている。この日も試食が始まる。日清食品マーケティング部の、いつもの朝の風景だ。

「研究所からほぼ毎日、試作品が届きます。朝からサンプル品を試食し、社内プレゼンの直前まで、思い描いた味に近づけていくんです」

 そう話す木所敬雄は、「日清ラ王」「日清焼そばU.F.O.」を担当するブランドマネージャーだ。年間30もの新商品を市場投入する。味からパッケージ、収支計画、テレビCM、販売戦略に至るまで全権を担う。

 ブランドマネージャーは「カップヌードル」「チキンラーメン」などブランドごとに計9人いる。“花形”の仕事で、創造する恍惚感を味わえる半面、売れなければ在庫の山。「もって2~3年」と言われるほど過酷なポジションだ。

AERA 2014年5月5-12日号より抜粋

■川崎フロンターレ
サッカー事業部 営業部 スポンサーセールスグループ 副グループ長
井川宜之(38) 「このクラブで『世界』に」

 プロのサッカークラブたるもの、目標は勝つことにある。しかし、永遠に勝ち続ける集団などない。「だから」と前置きをし、井川宜之はこう言うのだった。

「勝ち負けに左右されない、安定した経営基盤をチームにもたらすこと。それがぼくらの仕事なんです」

 仕事の成果は、ホームの等々力陸上競技場に表れる。広告看板が井川らスポンサーセールスグループの決める“ゴール”。企業から複数年の契約を受注できれば、それだけチームの経営基盤は安定する。スポンサー収入は年間予算30億円の半分を占める。

 部下は4人。それぞれが独自のネットワークを持って動くので、いかにも上司的な振る舞いはしない。井川は一人で130ものクライアントを抱える。1口1万円から支援できるとあって、地元の個人事業主も多い。新しいカラオケ店ができると、サポーターが「営業に行ってみれば」と教えてくれる。

 クラブでの仕事は、明治大学在籍時のアルバイトを含めると、かれこれ16年目になる。入社した2000年当時の平均観客動員は7千人。いまの半分以下の頃から、変わらずサポーターに支えられている。

AERA 2014年5月19日号より抜粋

■ABC Cooking Studio
経営企画部 マネージャー
森本麻緒(37) 「料理教室で、出会った」

 全国に130ある料理教室「ABCクッキングスタジオ」の会員数は、28万人にのぼる。定番のおかずからおもてなし料理、パン、ケーキ、「食」の大切さを教えるキッズコースまで、豊富なコース・メニューは他の追随を許さない。一つのキッチンに集まる受講者は最大5人だから、スタッフとの距離は近い。

「サービスの大半は、受講者の声をきっかけに生まれたんです」

 と話すのは、経営企画部のマネージャー、森本麻緒。中途で入社して9年目だ。約4千人のスタッフが受講者の「声」を経営陣に伝え、新たなサービスが生まれる。そのスタッフたちと経営陣の間に、森本はいる。経営陣からのメッセージを毎週、スタッフたちに向けて発信するのも、森本の仕事だ。

 今年1月、会社にとって大きな出来事があった。NTTドコモの傘下に入ったのだ。それに伴って社内の組織改革が始まった。森本は現場と経営の間の”調整役”を担った。

 現場は戸惑っていた。良さであるスピーディーな意思決定一つとっても、ドコモのような大企業が親会社となれば、多くの決裁が必要になるかもしれない。「らしさ」を消さず、風通しの良い会社でありつづけるにはどうしたらいいか。4カ月近く、社内調整のために奔走した。

AERA 2014年5月26日号より抜粋

■リングヂャケット
パターン室長
谷 譲(39) 「スーツを、描く」

 レディースの洋服づくりも経験してきたが、あるとき「一生ものの、技を磨けないものか」という欲求が芽生えた。流行を受け、細部が変化することはある。しかし、スーツの根本には、決して変わることのない普遍的なデザインが流れている。谷譲は11年前、スーツのパタンナーを志した。

 たたいた門は、大阪府貝塚市に工場のあるリングヂャケット。1954年創業のスーツファクトリーである。スーツづくりには縫製、仕上げなどいくつもの工程があり、パタンナーはその“設計図”をつくる。入社間もない頃、社内の講習に飽き足らず、かつて通った大阪市内の服飾専門学校で“自主トレ”した。

 5年前、ベテランパタンナーが抜けたあと、パターン室長に抜擢された。工場長は目を細める。
「谷は運をつかんだんですわ。先輩が抜けて、顔つきがぐっと変わった。ええもんを作ることにかけては、間違いのない人間です」

 ファクトリーは驚くほど、静かだ。ミシンはていねいな仕事を重視するため、あえて低速。針をつかった手仕事の工程も多いため、1日の生産数は90着。生産数は少ないが、質にこだわった製品は、業界の誰もが「国産最高峰」と認める。

AERA 2014年6月2日号より抜粋

■盛岡セイコー工業
雫石高級時計工房 組立工房 課長
泉田勝博(49) 「技術者集団を、見守って」

 静寂が支配する工房で、20人の組み立て技能士が専用の顕微鏡をのぞき込み、指先に神経を集中させる。薄い時計内部の機械に組み込む部品は、歯車やぜんまいなど100点以上。盛岡セイコー工業(岩手県雫石町)の「雫石高級時計工房」で、組み立て部門を率いる課長、泉田勝博は言う。

「1000分の1ミリを表す『1ミクロン』が仕事の基準。一つの狂いは小さくても、完成時には大きなひずみになる」

「グランドセイコー」「クレドール」といったセイコーブランドの高級機械式時計を一貫生産する。部品製造から組み立て、検査まで、1本の腕時計をつくるのに約5カ月かかる。人の目、人の手が、複雑で繊細な機械式時計をつくる。

 泉田は地元の高校を出て1983年に入社すると、クオーツ時計工場の部品製造部門に配属された。2000年に機械式時計の製造部門への異動を志願。世界的に機械式時計が見直されていた。04年には機械式時計の部門が集約され、この工房が発足した。

 技能士たちは、例外なく自分の仕事に対するこだわりが強い。釣りの毛針づくりを趣味にする人もいて、ふだんから指先の感覚を研ぎ澄ませている。ただ、仕事は時間無制限の趣味のようにはいかない。納期がある。品質を維持しながら、手離れの良さが求められる。泉田の仕事の要点は、いかに「匠」たちの能力をチームプレーに昇華させるか、にある。

AERA 2014年6月9日号より抜粋