先月、首相官邸であった「政労使会議」。終了後、米倉弘昌・経団連会長(住友化学会長)は取り囲んだ記者たちに言った。

「経営環境は目に見える形で好転している。設備投資、賃上げという形で収益を回したい、と経済界の決意をお伝えした」

 他の出席者からも前向き発言が続いた。

「従来は賃金体系の維持という方向性だった。それよりもう少し踏み込んだことを考えたい」(川村隆・日立製作所会長)
「業績が上がれば、まず税金を払って社会に貢献。そして従業員にも還元する」(豊田章男・トヨタ自動車社長)

 こうした発言を額面通りに受け取れば、ようやく賃金デフレも終わりの兆しか、と期待したくなる。だが、なぜかこうした動きに違和感も感じる。理にかなった展開ではないからだ。その疑念を裏打ちするような発言が、労働組合から飛び出した。

「わが国は政府が賃金に介入するような社会主義体制ではない」

 自民党や経済界の首脳の発言と間違えそうだが、これはまぎれもなく労組の総本山、連合の古賀伸明会長の発言だ。賃上げムードをいちばん歓迎すべき労組トップが、政府による賃上げ圧力をなぜ突き放すのか。日本記者クラブ会見での古賀氏の発言から引用しよう。

「具体的な賃上げはあくまで労使自治。政府介入はだめだ」「一部企業に賃上げの動きがあっても大企業から中小企業、地方企業への波及メカニズムがなくなってきている」「(ベースアップの)労使交渉は、そう生やさしいものではない」

 連合としては、賃上げとセットで雇用規制の緩和を押しつけられることへの警戒感もあるのだろうが、こうした冷めた分析こそが現実に近い。ある主要企業の首脳は声をひそめて言う。

「安倍さんはまったく分かっていない。政府から求められたからといって給料を上げる経営者などいません」

 言われてみれば、日立やトヨタは、円安ドル高のなかで業績が好調な輸出産業だ。政府から言われるまでもなく、賃上げを検討する環境にある。一方、原材料の輸入の割合が大きい産業にとって、円安はむしろ逆風。業界によって賃上げ環境はずいぶん事情が異なるのだ。

 米倉会長が前向き発言をしているのは、おそらく別の思惑からだ。「法人減税」のような企業にやさしい政策を掲げる安倍政権に、財界代表として協力的な姿勢を示しておく必要があったのだろう。

AERA 2013年11月25日号より抜粋