「敗戦処理」から始まった 住友商事のシェールガス開発 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「敗戦処理」から始まった 住友商事のシェールガス開発

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住友商事が共同開発しているペンシルベニア州マーセラスの掘削場。水圧を利用して地中の岩盤を破砕するフラッキングという技術が、「シェール革命」の扉を開けた(撮影/田中克佳)

住友商事が共同開発しているペンシルベニア州マーセラスの掘削場。水圧を利用して地中の岩盤を破砕するフラッキングという技術が、「シェール革命」の扉を開けた(撮影/田中克佳)

 最近、新たなエネルギーとして注目を浴びているシェールガス。その開発プロジェクトに早くから関わっている住友商事だが、実はこの事業は「悔し涙」からの出発だった。

 1990年代に入り、技術革新の末、シェール層に閉じ込められていた天然ガスや石油が取り出せるようになった。結果、米国の各地から天然ガスや石油がわき出し、そのことが巻き起こす現象は「シェール革命」とまで呼ばれるようになった。

 その最前線には、日本の企業人たちの姿がある。

 住友商事は、日本企業として最も早くシェール開発プロジェクトに参加した。原動力となったひとりが、エネルギー開発部シェール事業統括チーム長の上砂卓也(41)だった。

 米国現地法人の社長を務めていた上砂は08年の晩夏、帰国の内示を受け、ひとりテキサス州ヒューストンにあるオフィスで悔し涙を流した。06年4月に赴任したのは、メキシコ湾の海上油田プロジェクトを担うためだった。ところが、想定通りの生産量が確保できておらず、託された仕事は撤退戦。上砂は、当時の悔しさを隠さない。

「結局、敗戦処理がメーンになってしまった」

 だがそんな最中でも、次の一手を探していた。目についたのが、パートナーやライバルとして親交があった米国の独立系石油ガス開発会社の動きだった。

「彼らが、メキシコ湾の資産を売却して、どんどん米国の陸上に移っていった。率先して、米国の陸上で資産を買っていたんです」(上砂)

 陸上で何が起きているのか──。動きを探ると、「シェールガス」という言葉にたどり着いた。念入りな分析とパートナー探しの末、07年、本社にシェール開発への参入を提案した。だが当時、日本国内で「シェール」の認知度はほとんどなく、一方で巨額の損失を抱えたメキシコ湾開発の撤退戦の渦中。提案が採用されることはなかった。08年10月、現地法人を清算して帰国。北海油田の開発を手がけるチームに移った。

「米国でリベンジしたい」

 上砂が再びシェールガス開発に挑戦する機会が巡ってきたのは、09年春。リーマン・ショック後、米国内の天然ガス価格が低迷したことなどで、米国の石油ガス開発会社で資金需要が発生していた。現地法人時代に同僚だった米国人を通じて、独立系石油ガス開発会社カリゾー・オイル・アンド・ガスから打診を受けた。

「一緒にやらないか?」

 そんなメールをもらい、上砂はすぐにヒューストンへ向かった。権益の持ち分や取得額などを半年あまり交渉した末、カリゾー社との契約をまとめた。09年12月、カリゾー社がテキサス州バーネットに持つシェールガス開発権益の12.5%を取得。並行して、米国再進出の足がかりとなるSDRを設立した。これが日本企業初の、シェール開発への参画となった。

AERA 2013年10月21日号


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