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祖母の遺体に触りたくもない… 核家族化がもたらしたもの

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僧侶「死に向かって枯れていくにもエネルギーがいる。それを理解しなければ、本当の看取りではない」鷲岡嶺照さん(35)人の死が日常の中にあるとすれば、僧侶の役割もまた日常の中にあるはず。仏門に身を投じる者の役割が今、問われています(撮影/比田勝大直)

僧侶
「死に向かって枯れていくにもエネルギーがいる。それを理解しなければ、本当の看取りではない」
鷲岡嶺照さん(35)
人の死が日常の中にあるとすれば、僧侶の役割もまた日常の中にあるはず。仏門に身を投じる者の役割が今、問われています(撮影/比田勝大直)

 人間が避けて通ることができない「死」。近年の家族や社会の変化で、その捉え方には変化が表れているようだ。。

 九州を代表する天台宗の古刹として知られる熊本・阿蘇山西巌殿寺(さいがんでんじ)住職の鷲岡嶺照(35)は、人間の死とは、緩やかな時間の変化の中にあるもので、震災や事件に巻き込まれるなど特別な要因がない限り、突発的な死と直面することはないと話す。

「ある20代前半の女性が、祖母の葬式の場で、遺体を見たくもない、触りたくもないと言い出す光景に遭遇しました。話を聞いてみると、彼女は実家を出てずっと都会暮らし。臨終に立ち会っていないのです」

 その女性は幼い頃、祖母のことが大好きでいつも一緒にいた。ところが核家族化が進み、離ればなれで暮らすようになって、彼女は祖母の「ゆるやかな死」を実感する間もなく突然、亡骸とだけ再会した。これは、死への通過儀礼が断絶されているようなものだという。

「死に向かって枯れていくにもエネルギーを必要とする。そのことを理解することができなければ、本当の看取りとは呼べないのです」

 本来、こうした死に対する啓蒙こそ寺社の役割だった。けれども多くの寺社が檀家制度の上に胡坐をかき、檀家以外の人々に寺社を開放する努力を怠ってきた。このままでは社会における存在意義を失うのではないかと鷲岡は危惧する。

「少子高齢化に加えて家族制度も崩壊している。親族が亡くなって初めて寺と関わるのではなく、豊かな終末期をどう迎えるのかを当事者、家族といっしょに考える。本来の布教とは、こうした繋がりの先にあると思うのです」

AERA 2013年9月30日号


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