楽天乗務執行役員島田亨さん(48)1987年リクルートに入社、89年インテリジェンスを創業し、リクルートを退社、2000年インテリジェンスの株式公開、04年楽天野球団社長に就任、08年野球団社長兼オーナーに就任、12年楽天のアジア事業担当の乗務執行役員に(撮影/高井正彦)
楽天乗務執行役員
島田亨さん(48)

1987年リクルートに入社、89年インテリジェンスを創業し、リクルートを退社、2000年インテリジェンスの株式公開、04年楽天野球団社長に就任、08年野球団社長兼オーナーに就任、12年楽天のアジア事業担当の乗務執行役員に(撮影/高井正彦)

 日本に50年ぶりの新球団として9年前に誕生した、楽天イーグルス。選手層が薄く苦戦を強いられていた創設当時、球団がライバル視していたのは意外なところだった。

 Kスタ宮城に足を運ぶと、テーマパークのような賑わいに驚かされる。夏場は盆踊りの櫓(やぐら)が組まれ、プールや砂浜が登場。その周りではタレントを呼んだイベントが催され、子どもを乗せたミニ電車が走る。

 こうした仕掛けが定着したのは、新参球団の弱みの裏返しでもあった。乏しい選手層で船出したチームは当初から苦戦が予想された。勝ち負けだけにこだわるのではなく、球場に来ること自体を楽しんでもらい、リピーターを増やそうと考えた。いわば奇策。戦略を練ったのはベンチャーの雄だった。

 球団社長になった島田亨(48)と取締役事業本部長に就いた小澤隆生(41)。島田はリクルートの同僚だった宇野康秀(現USENグループ会長)らと人材サービスの「インテリジェンス」を創業。株式公開まで果たし、創業者利益を元手に個人投資家になっていた。小澤も新卒で入ったCSKの仲間とオークションサイト運営の「ビズシーク」を創業。その会社を楽天に売却し、楽天の最年少の執行役員に就いていた。

 島田はこう切り出した。

「経済界の常識は、野球界にも通用するはずだ。我々は球団経営というビジネスを行う」

 近鉄が撤退を余儀なくされたように、親会社におんぶに抱っこの球団経営は「赤字で当たりたい前」と言われた。シーズン開幕までに残された時間は5カ月足らず。スポンサーの獲得やチケット販売、ファンクラブの組織化など、球団の基礎を成す膨大な仕事をこなす一方で、球界に新風を吹き込む仕組みづくりが2人を中心に始まった。

 島田が目をつけたのは「球場」だ。球団は試合を行っていても、球場の所有者ではない。そのため億円単位の使用料が毎年発生し、赤字の元凶になっていた。そこで一計を案じる。楽天が投資をして球場を改修すれば、改修部分は楽天の資産になるが、それを所有者の宮城県に寄贈し、見返りに使用権を得るスキームを練った。改革派で知られた当時の浅野史郎知事を口説き、使用料は年7千万円程度で済むようになった。

 健全経営の土台が整う一方で、小澤は「徹底した情報収集」を南たちに命じた。野球界だけでなく、国内外のアメフトやサッカー、さらにはホテルや映画館といった異業種までビジネスモデルをくまなく比較検討させた。「箱型ビジネス」の本質を見抜くためだ。そこから、「野球はエンターテインメントである」というコンセプトが生まれる。

「俺たちのライバルは他球団でもJリーグでもない。居酒屋やカラオケだ」

 小澤はそう言って、現場に知恵を絞らせた。テーブルを家族で囲んで座れる「ピクニックシート」、試合半ばから値引きする「おばんですチケット」。ファンクラブは会費を年10万円から1千円まで階層化し(当時)、特典に差をつけた。

AERA  2013年9月9日号