浮世絵といえば美人画だが、実はイケメンの宝庫でもある。東京都渋谷区の太田記念美術館では「美男」を集めた浮世絵展、「江戸の美男子」展が開催中だ。ありそうでなかったイケメン浮世絵展の醍醐味を紹介する。

 江戸のイケメンといっても時代によって人気のタイプが違っている。初期は若衆と呼ばれる前髪を残した若者がもてはやされ、中期になり町人が台頭してくると、浮世絵も町人のイケメンが登場するようになる。

 また、浮世絵が富裕層だけでなく、庶民にまで広く好まれるようになると、より「身近にいそうな素敵な人」が題材に選ばれるようになってくる。代表的なのが物売り。当時は扇の地紙(じがみ)売りや白酒売りなどの接客業に、美男子が就いていたようで、さまざまな業態の物売りの絵が残っている。同じ買い物をするならば、イケメンから買うほうがよい、といったところだろうか。

 このように、文化が成熟してくると、ある種退廃の気分も漂い始める。そんな時代の空気を感じさせるのが、見目麗しいだけではない、ダメンズたちの登場だ。

 背中から14歳の少女(お半)に手を回され、ニヤついているのはアラフォーの帯屋長右衛門。25歳も離れた年の差カップルは、やがて浄瑠璃「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」(安永5〈1776〉年初演)でお馴染みの心中事件へと進むのだが、こうしたダメンズたちも描かれるようになるのだ。

「単純にカッコいいだけではない、さまざまな男性像があらわれるところに、江戸文化の成熟が見えると思います」(赤木氏)

 時代も下って、幕末に近づいてくると、社会情勢はきな臭くなってくる。天保の改革、黒船来航、安政の大地震といった激動の時代、男性像は歌川国芳が描く武者絵や侠客など、マッチョな男たちに人気が移っていく。

 もはやダメンズを愛(め)でるような空気は江戸にはなかったのだろう。錦絵でも、喧嘩が強くて頼り甲斐がある、刺青をした侠客などが人気を博すようになるのだ。安政の大地震のあとは建築業だった鳶職の給金がはねあがり、彼らの羽振りがよくなった、という記録も残っているくらい、鳶職も当時のモテ男子だった。激動の時代の中で、絵師たちは江戸に流れていた空気まで描きこんでいたのだ。

AERA  2013年8月26日号