路線統括本部終始統括グループマネージャー笠原薫(44)大阪大学で流体工学を学んだ。世界を舞台にする仕事がしたいと、丸紅など商社の内定を蹴って旧日本エアシステム(JAL)に入った(撮影/写真部・東川哲也)
路線統括本部終始統括グループ
マネージャー
笠原薫(44)

大阪大学で流体工学を学んだ。世界を舞台にする仕事がしたいと、丸紅など商社の内定を蹴って旧日本エアシステム(JAL)に入った(撮影/写真部・東川哲也)

 京セラの稲盛和夫氏(81)の手腕により、再生を果たしたJAL。社員の意識を変えた方法のひとつが、京セラ仕込みのアメーバ経営だ。大組織を独立採算で運営する小集団に分け、リーダーを任命し、共同経営のような形で会社を動かしていく。JALには組織図上の部・課ごとに約1千のアメーバがつくられた。

 路線統括本部の笠松薫(44)は自称「費用の門番」。11年末に収支統括グループのマネジャーに就いて以来、乗務員のホテル代や地方空港の業務の外部委託費などに次々とメスを入れてきた。他部署から見れば煙たい存在だろう。だが、「新生JALにはそんな人間が絶対必要」。その思いは、過去の苦い教訓から来ている。

 笠松は旧日本エアシステム(JAS)の出身。2002年にJALと経営統合し、最初の配属先が経営企画室だった。世の多くの企業でも、事業計画を司る経営企画の存在感は大きいが、かつてのJALでは際立っていた。

 経営企画の背番号が付いた人間は他部署に出てもまた戻り、自らを「企画系」と呼んで勢力を拡大。労務、営業と並ぶ三大派閥の一角を占め、社内の権勢を競っていた。

 だが、その経営企画が舵取りしたJALは、燃油や機内食代の支払いも見通せなくなり破綻する。理由は明快だった。採算意識の欠如だ。

「予算は消化するものという官僚的な思考が染み付き、収入の落ち込みに応じて費用を減らす、という当たり前の営みができていなかった」

 破綻当時は名古屋の関連会社に出向していたが、電話で話したかつての同僚はこう漏らした。

「管財人にいろいろ求められ、自分たちが思うような絵は描けなくなった」

 破綻は、経営企画の失墜なのだと悟った。

 アメーバ経営は権限の一極集中を排し、各部・課、全社員に採算意識を持つことを求める。路線統括本部はその扇の要だ。運航便のメーカーとなって、必要な航空機や乗務員、整備士を各本部から仕入れ、対価を払う。完成させた便は営業に売る、という社内取引を繰り返す。各本部は収支目標を自ら立てるが、「収入」にあたる対価は事業環境に応じて半年ごとに見直される。下がることもあるため、利益を確保しようと「費用」の削減に努める。費用が減れば、全社の利益が増える。

「門番」の手腕が試されるのはそこだ。月ごとに上がってくる各本部の採算表をにらみ、高止まりする費用項目はないか、特定の月だけ増えていないか、などをつぶさにチェックする。異常なシグナルを感じたら、担当者と膝詰めで議論を重ねる。反発も受ける。

 航空業界は、景気変動や紛争などイベントリスクに業績を左右されやすい。それでも大崩れしないように、経営のカルテをしっかりつける。それが今の、自分の使命だと思っている。

AERA 2013年5月20日号