通勤の足が改札口に吸い込まれていくJR京葉線新浦安駅。年配の女性たちが「高洲災害モニュメント ストップ!!」の文字が躍るビラを配り、署名を集めている。

 静かな暮らしを求めて浦安市に移ってきた人たちを街頭活動に走らせたのは、東日本大震災で起きた液状化と浦安市の対応だった。

 液状化で飛び出したマンホールを「震災の記憶として残す」と松崎秀樹市長がぶち上げたのは昨年6月。泥の片付けや傾いた家の補修に追われる住民には、「記念碑」に思いを巡らすゆとりはなかった。

「何をどう残すか、そのうち説明があると思っていました。一切説明がないまま市が決め、広報誌で知らされびっくり」

 と署名集めグループ代表の長谷哲子さん(65)は憤慨する。

 高層マンションに囲まれた公園の一角に、アスファルトを突き破って頭を出したマンホール。地下にあった災害用貯水槽の一部だ。この貯水槽は1万人に3日分の飲料水を配る命綱だった。震度6に耐えるはずだったが震度5で壊れた。市はそのままモニュメントにするという。

 住民の思いは複雑だ。地割れが起き、泥水が噴き出したあの日から水道もガスも止まり、トイレも風呂も使えない日が続いた。追い打ちをかけたのが不動産価格の値下がり。2012年の公示価格で、この近辺は15%も下落した。同じ埋め立て地でも地盤対策をした団地や施設では液状化は起こらなかった。

「モニュメントを作れば地盤の悪いところ、という印象を与えますね」

 と不動産業者は指摘する。

AERA 2012年10月29日号