強調しておきたいのは、アインシュタインが一般相対論を「発見」したのは、物理法則が備えているべき「美しさ」の探求の結果であり、決してこの水星の観測を説明するために「発明」したのではないことだ。アインシュタインは最終的な論文を発表する直前に、ニュートン理論が説明できない水星の近日点移動の謎を知り、一般相対論を用いて計算したところ、見事にそのずれを説明したことで、興奮し自分が発見した理論の正しさを確信したのだった。

 もう一つが、2015年に直接検出された重力波である。一般相対論は時空のゆがみを伝える波(重力波)の存在を予言する。その波の振幅は小さ過ぎて直接検出は不可能であると思われていたが、一般相対論が発表されて1世紀後に、ついに初めて地上で検出に成功した。その重力波は地球を通過する際に、2点間の距離をわずか10のマイナス21乗だけ変化させただけである。これは、地球と太陽の距離である1・5億キロメートルに対して水素原子数個分に対応する、まさに筆舌に尽くしがたい小ささである。

 これら二つの例が示すように、数学で記述された物理法則は、定性的な振る舞いにとどまらず、その定量的な予言が驚異的な精度で検証されているのである。

 このような実例を繰り返し目の当たりにすると、数学的な物理法則は世界の近似にとどまらず、厳密に正しいのではないか、と思えてくるのである。そしてその先には、「宇宙はなぜ法則にしたがっているのか」という、より根源的な謎がひかえている。そもそも法則はこの宇宙のどこに書きこまれていて、天体(さらにすべての物体)は、どこを参照しながら運動しているのか。これは通常の科学を超えたかなり哲学的な問いであり、正解があるかどうか以前に、問うこと自体無意味かもしれない。

 最新の宇宙物理学が明らかにしたこの宇宙の振る舞いは、世界を支配する法則と数学の関係、さらには、理論と実在の対応、など、狭い意味での自然科学には収まりきらない刺激的かつ危険な問いかけを投げかけている。本書がその一端を伝える役割を果たすことを祈ってやまない。