『タコの知性 その感覚と思考』
朝日新聞出版より発売中

 沖縄にはかつて王国があった。その王国と同じ名を冠した大学で私はタコとイカを研究している。

 どうしてタコとイカ?

 実はタコとイカは隅に置けない生き物。その体には精巧なレンズ眼が嵌り、巨大な脳が内に潜む。無論飾りではない。それらを用いてタコとイカは学習し記憶する。また、状況に応じ、体中に張り巡らされた神経を介し瞬時にして色模様、姿形を変えて地物に化け、気配を消す。ただ者ではない。欧州辺りでは海の霊長類、隠蔽の達人の異名をもつ。滑稽なイメージとは裏腹にタコとイカは優れた思考の持ち主なのだ。

 とりわけ海底の賢者とも呼ばれるタコは秀でている。難なく迷路を解き、他者の振る舞いをまね、道具も使う。まさしく、タコはインテリジェンスという刀を巧みに操る知の手練れである。

 一方、タコは食において日本人にインパクトを与え続けてきた。その一つがたこ焼き。サムライボールとも呼ばれたこの球体は、タコを体現するジャパニーズディッシュだ。

 東京育ちの私が「明石焼き」を知ったのは少し前のことになる。明石焼きはその名の通り兵庫県は明石の郷土料理で、玉子焼きともいう。その名からタコは想像できないが、明石焼きはたこ焼きの変種で中にタコが入っている。そんな予備知識を携えて私が明石焼きを初めて口にしたのは、家族で神戸を訪ねたときだ。三ノ宮駅近くにある店を探しあて、狭い間口から二階へと上がり明石焼きを注文した。

 平板な漆器に載せられ、わずかに形が崩れた薄狐色の球体が運ばれてきた。出汁を湛えたお椀も添えられている。等間隔に並べられたそれはたこ焼きとは違う代物だった。

 箸で摘むと柔らかく、形が崩れる。そそくさと出汁につけて口へと運ぶ。熱々のフワッとした食感の後にタコが口中に明確に感じられた。なんとも上品な味だ。明石焼きは神戸の印象と共にハイカラさんとして心に刻印された。

 時流れて昨秋。大阪で動物行動学の学会があり、例年通り私は研究室の学生たちとともに赴いた。

 学会の場所が大阪ということで私にはプランがあった。それは学生たちと明石焼きを食べること。関西以外で育った学生は明石焼きと言われても「?」という表情を返す。タコ・イカ学徒として、たこ焼きは知っていても明石焼きを知らないのは不十分。それなら明石焼きとたこ焼きの食べ比べをしよう。折り良く、研究室のOBで沖縄出身のS君が大阪におり、彼に店を見繕ってもらうこととした。

 学会での務めを終えた夕刻、学生諸氏に声をかけた。プランに参加する学生は東京、栃木、徳島、兵庫の出身で、兵庫育ちのK君だけは明石焼きを知っていた。旅は道連れで、その場に居合わせた慶應義塾大学のSさんにも声をかけた。彼女はカラスを研究する学生で神奈川の出身。

 かくして、イカ・タコ・カラス学徒の一行は、S君と途中で落ち合い、街灯が照らす夜の難波をぞろぞろ歩いた。

 S君チョイスのその店では、店員さんが半球状に窪んだ黒い鉄板に向かい、次々にたこ焼きを生み出していた。間もなく爪楊枝が刺さった完成品を手渡され、皆で頬張った。イチオシのたこ焼きは外がカリッとして中は柔らかで熱い。裏切らない味だ。

 学徒たちは再びぞろぞろと歩みだした。道頓堀に入ると、そこは流れるような人の川。左右に店が続き、店員さんが威勢良く声をかける。見れば大きなタコ人形が店の看板で踊っている。反対側の店には八本の腕をくねらせたタコ人形。別の店先にはタコグッズが並んでいる。

「ここはタコの街だな」

 行き交う人々の顔を見つつタコの存在を強烈に感じた。

 通りの一角にある粉物屋に入り、私たちは明石焼きを待った。漆器に並べられてやってきたそれは、タコを鮮明に感じさせてくれる逸品だった。

 店を後にして再び人の川を歩くと、Sさんが言った。

「ここは銀座とは雰囲気が全然違いますね」

 なるほど。ここでは湧出するエネルギーをタコたちとともに強く感じる。ここはタコを愛する人たちがいるところ。こよなく愛する人たちがいるところだ。タコは群れないと言われるが、豪州の海ではタコが高密度で暮らす「タコ都市」が発見された。サンゴ礁を抱く沖縄の海には多種多彩なタコがいる。琉球王国は既にない。しかし、足下の海には道頓堀の如くタコの舞う王国があるかもしれない。

 帰路の関西空港。土産物屋の棚に二つの箱が置かれていた。たこ焼きと明石焼きの真空パックだ。仲良く並んだ二つの箱は、八腕で獲物を襲うタコの大胆さと、頭脳を駆使するタコのスマートさを言い表しているようであった。