暗渠とは言語のようなものなのかもしれない。その土地を描き出す言語は、幾通りもある。わたしは暗渠という言語しか、喋ることができない。しかし、暗渠が宿す土地の記憶は、清濁併せのんでつきあう覚悟と敬意でもあり、あるいは端的にその土地の成り立ちを示すものであり、まちの根幹なのだ。それで、もっぱら暗渠を使って、さまざまなものごととかかわってきた。

 共著者の高山英男氏は、同じ暗渠という言語を使うが、異なる方言を用いる。つまり、わたしとは異なる関心の持ち方と表現をする。広範囲を俯瞰して見ることが好きらしいので、なんだか空を飛ぶ鳥のようだ、と思う。いっぽうわたしは、地面にはいつくばって、眼前の数メートルに見えるものを収集する。あゆみの遅い、蛙といったところか。

 本書は、この視点の違いを反映させ、暗渠と何かをかけ合わせた軸をつくり、交互に書く構成とした。軸は、好奇心の赴くまま、「街道」「鉄道」「人物」など九つに設定した。そして各章の間に、さまざまな地方の暗渠に関するコラムをはさんだ。

 これは暗渠の「読みもの」でありたい。まち歩き好きな人の中には、暗渠が好きな方も多くいるのだが、そのいっぽうで、難しい、とか、何がおもしろいかわからない、と言う人もいる。小説のように、どのような人にでも気軽に手に取ってもらえたら。身を浸し、そして、今より少しだけ暗渠のことを好きになってもらえたら、幸いである。

 年中無休、24時間営業、無料でいける。日本中、世界中にある。タイムマシンの扉は、意外と近くにある。もしも暗渠のことを好きになったなら、暗渠と出会うためにまずあなたがすればいいことは、靴を履いて外へ出、まちを歩いてみることだけなのだ。