『枕草子』は、定子が苦境にあったさなかに産声をあげ、定子に献上された。作品が明るく楽しいのは、絶望の淵にある定子を微笑ませるためだった。また『枕草子』は、定子が悲惨な死を遂げた後も書き続けられた。一章段ごとに、あるいは幾つかの章段のまとまりとして、現在のブログに似て五月雨(さみだれ)式に書き継がれたと推測される。「香炉峰の雪」はおそらくこの中にあった。知的だった定子。きびきびと清少納言に声をかけ、彼女の意図通りに清少納言が御簾をかかげると、にっこりと笑った定子。『枕草子』が描く定子像は悲惨などでは全くなく、常に幸福で理想的な后の姿である。定子の死後、貴族社会に蔓延した悲劇的な定子の記憶を払拭し、新しいものに塗り替える。清少納言はそれをたくらんだのだ。目的は定子の哀悼、そして鎮魂である。効果は見事だった。『紫式部日記』によれば、定子の死の僅か十年後には、貴族たちは定子の時代を懐かしむようになり「あの頃は気の利いた女房がいたなあ」などという発言をするに至ったのである。

 本書を書く間、心の中で流れ続けていた歌があった。「キャンドル・イン・ザ・ウィンド~ダイアナ元英皇太子妃に捧ぐ」。かつてエルトン・ジョンがダイアナ妃の葬儀で歌った鎮魂の歌である。彼女は物議をかもし悲劇的に死んだ妃だったが、この歌は爆発的にヒットし、英国人たちは涙を絞った。そして歌通りにダイアナの記憶を浄化した。なぜそうなったのか。イギリス社会がそれを求めていたからだ。

 実は『枕草子』でも全く同じことが起きていた。定子の存命中は彼女への批判や迫害を繰り返した貴族社会だが、その死後は一転して『枕草子』を歓迎した。定子という「事件」を経て重い空気を抱え込んだ社会にとって、彼女の記憶を美しく浄化する『枕草子』は、恰好の救いとなったのだ。人々は『枕草子』に癒され、定子への罪悪感を希薄化した。作品は社会の中で生まれ、社会に許容されて生き残る。本書を通じて私が最も言いたかったのは、そのことだ。
 ただ、紫式部(むらさきしきぶ)は冷徹な目を持ち続けていた。彼女は定子という事件の本質を見極め、紛らわされることがなかった。『紫式部日記』の清少納言批判はそれに関わる。これもまた、本書が最も言いたかったことの一つだ。