携帯電話から聞こえた声からは、柔らかな口調の中に、困惑や怒り、懇願が感じられた。中国共産党をテーマにした朝日新聞の長期連載「紅(くれない)の党」最終編の開始を2日後に控えた6月21日、中国東北地方の政府職員から私にかかってきた電話だ。

 先方はちょうど1年前に始まった連載の内容に触れ、「今準備している記事の中で、中国の政治体制について言及するなら、あくまでも客観的かつ事実に基づいて報じてほしい」と語った。政府職員からの電話は珍しく、要請とも、抗議とも、警告とも、取れた。

 この1年、尖閣諸島をめぐる日本と中国の対立が深刻化し、中国各地では反日抗議デモが続発。日本車や電気製品などの排斥が叫ばれ、文化や学術面の民間交流も自粛ムードが広まった。両国民の9割が相手国に「良くない印象」を抱くなど、日中は「1972年の国交正常化後で最悪の状態」(日本人ベテラン外交官)に陥っていた。

 15分ほどの短いやりとりの中で、私は読者の一人でもあった相手に、二つのことを伝えた。「連載は取材で得た『事実』に基づき、『評論』を極力排除している」。そして、「日本の読者に中国の姿を正確に伝え、知ってもらうことこそが、成熟した日中関係の構築につながると信じている」と。それは、連載をまとめた本書を、ともに取材・執筆した日本人と中国人の同僚たちが、最も伝えたかった共通のメッセージでもあった。

 本書は北京や上海、広州、瀋陽に駐在し、日々のニュースを追う記者たちが足で稼いだ5部構成の報告書だ。党の最高指導部入りを目前にしながら、妻による殺人事件で失脚した元重慶市トップの生き様を描いた第1部「薄熙来(はくきらい)」。高官子弟の豪華な海外生活や蓄財の実態を、米英や香港の現場で追った第2部「赤い貴族」。第3部「指導者たち」では、現指導部トップに上り詰めた習近平(しゅうきんぺい)氏、李克強(りこくきょう)氏の出世過程を紹介している。さらに、今回出版される文庫版では、党とともに全国を網羅し、若者への思想教育を通して将来の幹部候補を育てる共産主義青年団を取材した第4部「エリート」、13億人の大国を統治する権力の中枢機能を探った第5部「中南海」を収録した。

 薄熙来事件の捜査や裁判と並行しながら続いた取材は挫折の連続だった。党による「メディア指導」が原則の中国で、政府職員たちは統制の利かない外国メディアの取材に応じたがらない。中国共産党に連なる各テーマは、一党独裁体制のもと、政府職員だけでなく市井の人々にとっても語りにくい内容だった。加えて、昨年来の日中関係悪化が取材の壁をさらに高くした。党や中国政府だけでなく、大学の研究者や企業幹部にも、「日本のメディアならお断り」「今は時期が悪い」「取材内容が『日中友好』にそぐわない」といった理由で何度も面会を断られた。一度は取材を了解してくれた相手が、組織や上司の反対に遭い、撤回を伝えてきたケースも少なくない。

 だが、締め切りの恐怖に追われる中で、突破口を開いてくれたのは、日中間の不理解を憂え、日本とのつながりを重視する中国人たちだった。

 ビジネスを通じて日本人を知る政府高官は匿名を条件に、愛国のためのデモを動員する手法を語ってくれた。日本の大学と学術交流を続ける大学職員は、上司に内緒で学生への思想教育を明かしてくれた。警察の監視下にありながら、当局による報道機関やインターネット上の統制を紹介してくれた学者や記者、元政府職員たちもいる。勇気ある中国人たちの話から見えてきたのは、国営メディアが流す見栄えのよい「建前」ではなく、多くの中国人が困惑や怒りを抱き、改善に期待する「本音」の党の姿だった。

 記者たちは、貴重な証言で得られた事実が、現代中国史の中でどう位置づけられるのかをつかむことにも心を砕いた。本書で取り上げた個別の事実が、中国共産党の長い歴史や、党が現在直面する諸問題、将来の方向に対し、何のサインになっているのかを、伝えるためだ。公開された政府文書を探し、メディアが伝える指導者たちの指示や発言を読み込んだ。

 高度成長を経て、世界第2位の経済大国になった中国だが、国内では広がり続ける貧富格差をはじめ、民主化や言論の自由を求める人々との対立、当局の汚職や進まぬ政治改革に対する鋭い批判、党内の派閥抗争など、様々な問題を抱える。それらの多くは日本が過去に経験したり、現在直面したりしている問題でもある。内容不足とのそしりは覚悟しながら、本書が、等身大の「中国共産党」と「中国人」を読者各位に紹介でき、将来の日中関係を考えていただけるきっかけになれば、望外の幸せである。