これらの感想からもわかるように、単独で読んでも面白いが、予め「鳥獣戯画」に触れておけば本書の魅力は倍増する。こうして出典に接触したくなる読者を増やすこともまた、優れた史料活用の効果なのだ。

 もう一つの理由は、漫画表現論としての秀逸さにある。

 2016年、劇場版アニメがヒットした『この世界の片隅に』での方言に対するこだわりが示す通り、言葉の使い手としても、作者は高度かつ独特な手腕を発揮してきた。その人による漫符解説なのだから面白くないはずがない。一例だけ挙げると、「チュン、チチチ…」の擬音語の漫符は「すずめの鳴き声。朝活発に鳴くことから、転じて朝であることを表現する」と説明しつつ、隣の漫画ではよく見ると「チュン」ではなく「チェン」とすずめは鳴いており、「千エン札」を兎が拾うという具合。説明が簡にして要を得ているうえ、ユーモアに富んでいる。

 日本漫画特有の文法や暗黙の了解を用例としての四コマ漫画と見比べて理解できる構成は、表現論として説得力がある。海外のMANGAファンなどにも参考になるだろう。しかも、漫符解説と漫画のどちらを先に読むかで味わいが変わってくるので、何度も楽しめてお得である。

 ではいかにして、作者はこのような史料活用や漫符図譜の手法を着想し得たのだろうか。端的に言えば、おそらく「もったいない」からだ。

 私はかつてあるイベントで、失礼ながら、ご本人を前に「こうのさんは貧乏性ですよね」と発言したことがある。手描きのスタイルはもとより、ボールペンだけで仕上げたり、紙面の余白をできるだけ埋めようとしたり、紙を透かして用いたり、繰り返し読める内容にしたりと、使えるものは何でも使おうとする、貪欲な作家性を指してのことだ。その貧乏性というか凝り性が、「鳥獣戯画」を「ギガタウン」に再生させ、同時に「漫画とは何か」にまで迫るという離れ業(との自覚はご本人にはないと思われるが)を成立させたのだろう。実に「やりくり上手さん」である。

 手遊びの「戯れ絵」としての「戯画」本来の味わいを活かしつつ、くすっとした笑いやおとぼけ感に満ちた「漫」画らしい漫画である本書は、先人たちが紡いできた漫画の面白さや不思議さを私たちに教えてくれる。それはきっと漫画の〈起源〉の発見よりも、漫画の歴史を、そして漫画そのものを、豊かにする方法に違いない。

 これでまた日本漫画史に新しい一頁が加わった。