バーでは、様々な哲学や思想を学ぶ院生が、それぞれカントの立場、ハンナ・アーレントの立場などから発言し、白熱した哲学談議が繰り広げられた。べんけーさんは、遅れて来たお客さんが「これまで話したことの重要な点を教えてください」と言えば、板書をもとに要点を説明し、「デリダの『法の哲学』を分かりやすく説明して」とチャットGPTへ質問した回答にも誠実に答える。

 客層は男性がやや多く、大半を20代が占め、学部生、院生、IT、アパレル、クリエーティブ系などの多様な面々が集っている。遅れて来店した女子大生は、「最初から来れば良かった」と残念がっていた。

 来店の動機は様々。

「大学では理系を専攻していたので、哲学は言ってみれば学生時代は逃げていた分野。話がきけてよかった。楽しかった」(IT系ビジネスパーソン・20代男性)

「仕事柄、忙しいので興味があっても本を読む時間がないので来店した」(アパレル系で働く女性)

 店長の山口真幸さん(31)は埼玉県上尾市生まれ。高校まで公立校に通い、2010年に東京大学文科三類に入学する。同級生は、カルチュラル・スタディーズ(文化研究)など社会学系を好んで読んでいたが、山口さんは違った。

「僕は文章を書くことが好きだったので、小難しさのなかに詩的なところがある吉本隆明に魅力を感じ、『言語にとって美とはなにか』など、『よく分からないけど、何かありそう』と感じたものに興味を持ちました」

 卒業後は「種だけ蒔(ま)いて、3年、5年は待つ」という社風の学術系出版社に就職。業務は編集全般にわたり、自らの専攻とは全く関係のない、様々なジャンルの編集に携わった。5年の編集職を経て、コロナ禍にIT系へ転職するも早期に退職。今年1月4日に当店をオープンした。「店長に内定しました」というつぶやきが約2千リツイート、約6千「いいね」を集めるなど、開店にあたり学術に関わる人たちの好意的なリアクションを感じた。スタートダッシュを切り、経営的にも右肩上がりで推移しているという。

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