聞くところによると、連載当初で1本2万円、アルバイトの時給が400円ほどだった時代にだ! 友人知人、親きょうだい、友情も恩もそっちのけ、ネタのためなら、ウケるのであれば、そして2万円のためならと売り飛ばし、書き飛ばしまくった。

 当然、恥ずかしい話や不名誉な話を勝手に書かれたことで怒られたり気まずくなった例は、数知れず。某県警や企業の不祥事や不名誉で外部に漏らしたくない出来事も、どこで拾ってきたのか勝手にデキゴト化、猛抗議を受けたこともこれまた数知れずだったという。

 連載をまとめた単行本のシリーズもベストセラーとなった。いわゆる印税は本誌編集部に入り、単行本が売れれば売れるほど編集部は潤い、豪華な宴会や編集部での旅行の費用の一部などに使われたという(うらやましい)。

 デキゴトロジストの中でも最も有名なのが、樹木希林さんの晩年の代表作として話題を集めた映画「日日是好日」の原作者でもある、エッセイストの森下典子さんだ。

 大学4年生のとき、就活に大失敗し途方にくれる中、知人に紹介され穴吹氏と出会う。そのままデキゴトロジーの原稿を書くことに。理由はわからないけれどなぜかあちこちでモテまくってしまう“MMK(もててもててこまる)おばさん”など、ヒット作を連発、かの“天才”に、「いやぁ、大した才能や!」と言われた。

「書いてはだれかに怒られていました(笑)」

 森下さんが振り返る。

 夜な夜な打ち合わせを兼ねて、歴代の元締とデキゴトロジストたちは食事に行ったり飲み屋に行ったり、時にはカラオケやボウリングに繰り出した。

「そうやって楽しく話をするなかで生まれてくる企画や、『そういえば』と思い出すネタもたくさんありました。贅沢でおおらか、アナログないい時代でした(笑)」

 しかし、いくら森下さんだって、無限にネタが身の回りに転がり込んでくるわけではない。売り飛ばした相手と疎遠になったりするなど、だんだんネタが尽きてくる。そんなとき、穴吹氏が放ったこんな言葉が耳に入ってきた。

「親きょうだい売ってきた者の、当然の報いやわ」

 ある日、何代目かの元締が、そんな森下さんを、さる京都のお茶屋に舞妓として入門させると言う。運命がめぐりめぐって、ついに自分が「売られる」ときが来た。因果応報という言葉が頭の中をかけめぐった。

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