千田嘉博(せんだよしひろ)写真左/ 1963年、愛知県生まれ。城郭考古学者。奈良大学卒業。奈良大学文学部文化財学科教授。2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の真田丸城郭考証を担当。平山
千田嘉博(せんだよしひろ)写真左/ 1963年、愛知県生まれ。城郭考古学者。奈良大学卒業。奈良大学文学部文化財学科教授。2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の真田丸城郭考証を担当。平山 優(ひらやまゆう)/ 1964年、東京都生まれ。歴史学者。立教大学大学院文学研究科修了。専門は日本中世史。武田氏研究会副会長。2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当=撮影・小山幸佑

 大河ドラマどうする家康」で時代考証を担当している歴史家の平山優さんと、当代きってのお城の研究家である千田嘉博さん。旧知の二人が「あのお城にはこんな秘密が」「あの地にお城があるのはこんな理由が……」などなど、武将の魅力から最新の研究まで、熱く語り合った。

【写真】1939年に撮影された安土城址にある摠見寺二王門がコチラ

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千田:平山先生は武田氏研究会の副会長もお務めです。武田といえば躑躅(つつじ)ケ崎の武田の館(甲府市)はなるほどと思う場所にありますね。

平山:躑躅ケ崎は小松の庄があったところで非常にいい土地でした。甲府は水害が多い地帯だったのですが、あの場所は現在の防災マップを見ても水害や土砂崩れの指定がなく、とても安定しています。そういう意味でもいい場所なのです。ただ、信長や家康は本拠地を移していくのですが、武田はできなかった。というのは甲斐の守護という伝統的な家なので、簡単には移せない。

千田:それは新興勢力と大企業の違いですね。

平山:武田の場合、城を移転したら反乱が起きました。1回目は(武田信玄の父)信虎が甲府に移したとき。2回目に新府に移したら武田は滅亡しました。

──城と聞いて大坂城や姫路城を思い浮かべたのでは、身近な城を見落としてしまう。江戸時代には大名だけが城を築いたが、中世には地域の武士も、村のお殿様も、寺社も、村や町の住民連合も、自分たちにふさわしい城を築いた。だから中世の城は、圧倒的に多かった一方で、まだ石垣も天守もない土づくりの城がほとんどだった。(千田嘉博著『歴史を読み解く城歩き』から)

平山:城が移転したら、城下の商人たちがどういう選択をするかですね。

千田:城が移転する際、信長の場合は特権を与えたんじゃないかと思います。たとえば安土では城下を楽市にし、そこに住んだらこれまでの借金は棒引きで新たな税金もかけない。するとみんな住みますよね。有力な町人とか、職人さんが来てくれるためには、思い切った特典を与えなければ行かなかったのではと思いますね。

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