ノンフィクション作家の後藤正治さんが『天使突抜おぼえ帖』(通崎睦美著、集英社インターナショナル 2200円・税込み)を読んだ。

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 著者の通崎睦美さんとは面識があり、マリンバの演奏会をのぞいたり、夕食を共にした日もある。ほがらか系の人で、本書を読みつつ、かのごとき活発にして多才なご婦人を生んだ源は、京の下町文化であるようにも思えてきた。

 タクシーに同乗した帰り道、運転手に、「西洞院松原(にしのとういんまつばら)下ル」とおっしゃる。降りたった地は、下京区の町屋がびっしりと並ぶ狭い通り、天使突抜(てんしつきぬけ)1丁目──である。

「天使突抜」とは実在の地名である。伝承では、豊臣秀吉の時代、都市改造で五條天神の境内を突き抜けたことによりそうなったとか。町衆が自主的につくった街路だったという説も有力である。

 通崎さんの両親は風呂敷製造の職人だ。自宅に届けられた反物を母が裁断し、父がミシンで三ツ巻縫製する。

 北隣は「配膳(はいぜん)さん」。茶事や宴席のダンドリを仕切る裏方で、当地だけにある職であろう。その隣は「悉皆屋(しつかいや)さん」。着物のシミ落としや染めかえなどを請け負う呉服なんでも業。界隈、かような職人衆が暮らしている。

 頭に花籠を載せて、白川女(しらかわめ)が「花、いらんかえ──」と売り歩くさまはドラマでもお馴染みだ。通崎家では、つい先ごろまで、御仏花(おぶつか)は北白川から荷車を引いてやって来るおばさんから買っていた。京野菜を届けてくれる「桂善(かつらぜん)のおじさん」もいたとか。

 こんな町中で育った通崎姫、音楽の才は天賦だったようである。

 マリンバを習いはじめたのは5歳の時、近くのお寺で開かれていた教室だった。市立小学校から同志社中学に進むが、すでに演奏家になりたいと思っていたという。高校への内部進学を辞退し、市立堀川高校音楽科へと転身する。案じる親にこう答えたとある。

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