横尾忠則
横尾忠則

 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、画家の命について。

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 コロナ禍で都心に出ることも年に、二、三回、散歩も中断、ほとんど終日ステイホーム獄中記でも書くように、絵を日記代りに描くようになって、かれこれ2年半近くなるのでは。歩かないくせがついて、家からアトリエまでの短距離も自転車。日課のようにしていたアトリエから野川公園までの散歩もしなくなってしまった。

 身体を動かすのは絵を描く時ぐらいで、これだって腕を動かす程度だから運動にはならない。絵以外は完全な怠けぐせがついてしまって、寝た切り老人とさほど変らないほど怠惰な肉体になってしまった。そのせいか、いや、そのせいに決まっているが、少し身体を動かすだけで、靴下や靴を履くためにしゃがんだり、家の階段を昇るだけで息切れがする。だから徒歩でアトリエに行くのも一苦労。犬がハアハアいっているのとそう変らない。以前は歩いて5分のアトリエまでの距離が今では3倍の15分を要する。

 肺と心臓の機能を心配して、病院で徹底的に検査をしたが異常はない。やはり運動不足とマスク生活のせいではと、アトリエ内を歩いてみたり、バルコニーで大きく深く呼吸することを試すが、さほど改善しない。やっぱり運動をしないことと、絵を描く疲労がたまったのだろうか。それとも老齢のせいか。最近は膝が痛む。外科の先生は変形性膝関節症ではと診断。息切れと、歩行障害以外は、時々、夜中に胸焼けがする程度で、内臓の問題はないと思っている。

 本誌が出る前日の6月27日に満86歳になる。元々虚弱体質で、年中、日替り病気をしながら、手術を受けるような大病も患わず、よくこの年まで延命してきたと思う。養父母が69歳、74歳で逝去したが、親より遥かに長生きしているのは、われながら奇蹟のように思えてならない。今日まで実に多くの友人、知人が亡くなっている。もうこちらにいる人よりもあちらに行ってしまった人の数の方がうんと多い。この間電話帖を見て驚いた。すでに半分以上の人が鬼籍に入ってしまっている。ほとんど用をなさない電話帖だが、亡くなった人の名を簡単に消すわけにはいかない。

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横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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