川村住職のお願いを、中村さんは固辞した。急だったということもあるが、大きな理由があった。

 2010年5月。中村さんは覚醒剤やコカインを所持したとして覚醒剤取締法違反などの罪に問われ、東京地裁で懲役2年執行猶予4年の判決を受けた。

 その年は、JAYWALKのメジャーデビュー30周年の大きな節目だった。だが事件を受け、5月から予定していた記念全国ツアーをはじめ、ライブやイベントは全部中止。CDもショップから撤去された。

 償いと自戒を込め、「自宅でさえも歌うことはなかった」と中村さんは振り返る。

「僕がバッシングを受けるのは仕方のないことです。でも、高校に進学したばかりの多感な時期の一人息子や愛知県を中心にタレント活動をしている妻(書家でもある矢野きよ実さん)にも辛い思いをさせているだろう、と。それが申し訳なくて、判決直後は歌を辞める覚悟でいたのです」

 そのような経緯から、歌うことを断った中村さんだったが、川村住職は、中村さんの過去も知った上でお願いした。

「大きな津波被害にあった地域では、ご夫婦で被災され、別の日に離ればなれでご遺体が発見されることが多いのです。ところが遠藤さんご夫妻はほぼ一緒だったと聞きました。震災前から、身寄りがないけれど仲むつまじいことで知られていた夫妻らしい最後です。それで、御三方を送るに当たり、無理を承知でお願いしたのです」(川村住職)

 中村さんは、3人の話を深く聞き、迷いに迷ったあげく引き受けることにした。

 本番は、ギターひとつないアカペラだった。

「3人の僧侶が読経したのですが、あまりの熱唱に途中から声を出せていたのは1人だけ。2人は参列者とともに号泣していました」(川村住職)

 中村さんは大役を果たせてホッとした。ただ、禁を解いたことに後ろめたさもあった。帰宅後、以前と変わらぬ歌のない生活に戻り、その後もゴールデンウィークを挟んで何度か被災地へ通った。

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「私はすべて無くしました。でもあなたには……」