ジャーナリストの田原総一朗氏は、民主主義の重要さについて論じる。
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京都大名誉教授の佐伯啓思さんが、文藝春秋の1月号で、「『民意』亡国論」という、極めて刺激的な論文を発表している。
賛否両論というよりも、おそらく批判が殺到するであろう。このような論文を発表できるのは他にほとんどおらず、佐伯さんならではの刺激に満ちた論文である。
佐伯さんは、「民意」の危険性の例として、ヒトラーのナチスを取り上げている。
「一九三〇年代のドイツでナチスは圧倒的な『民意』の支持を受けて政権をとった。そしてそれがデモクラシーを崩壊させたのである」
そして、佐伯さんは次のように続けている。
「今日、われわれはナチスからも『民意』の危うさを学んだはずであり、それを無条件に信じることなどできるはずはない。にもかかわらずそれを手放すこともできない。こういう奇妙なディレンマに陥っている。本心では信じていない民意にすべてを委ねるほかないのであり、それが、今日の、政治への不信、政治の不安定、政治への無関心、政治のエンタメ化の核心にある。とすれば、これは『民意が政治を崩壊させる』というべき深刻な事態ではなかろうか」
「大多数の国民は、日々の仕事やその場限りの快楽の追求に忙しく、またおおよそ半径数メートルの身辺事項にしか関心をもてない。政策判断においても、おおかた、それが自分にとって得か損かの判断になるほかない」
というのである。そして、世界的に著名な学者であるオルテガはかつて、「大衆社会にあっては、人々の政治的意見など、せいぜい喫茶店で聞きかじったいいかげんな知識に過ぎず、それを政治で実現しようとしている」と痛烈に批判しているとした。
日本を代表する学者の一人である西部邁氏は、評論集『大衆への反逆』などを発表し、一貫して高度大衆社会批判を展開していた。
たとえば、昭和初期の満州事変、日中戦争などは、国民世論もマスメディアも大歓迎で、それが、まったく勝ち目のない太平洋戦争への道を開いたのである。