河合雅司さん(左)、真山仁さん (撮影/写真部・高橋奈緒)
河合雅司さん(左)、真山仁さん (撮影/写真部・高橋奈緒)

 コロナ禍で私たちの生活様式や価値観などが大きく変化した。一方で、格差・少子高齢化といった課題は残されたままだ。今夏、新刊を出版した作家の真山仁さんとジャーナリストの河合雅司さんが、この国の行方を問い直す。

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河合:日本の衰退が鮮明になってきました。われわれは、どこで間違えたのか。振り返れば、「失われた30年」である平成期が分岐点でした。平成をどう総括しますか。

真山:昭和の後始末もできず、いたずらに費やされた30年だったと思います。少子高齢化も地球温暖化も1970年代から予兆があったのに、戦後の高度経済成長の余勢を駆って進んでしまった。必然的にバブルがはじけて経済がおかしくなった時も、見て見ぬふりをしました。『ハゲタカ』(2004年)の取材で経済誌の記者に尋ねたことがあります。「なぜすぐに警鐘を鳴らさなかったのか」と。

 バブルがはじけたのが1989年。株価を見れば一目瞭然だったのに、翌年になっても「まだ大丈夫、まだ上がる」と言い続けていましたから。「結果がわかっている今だから言えることだ」と返されましたが、それは言い訳でしょう。バブル崩壊後、95年に阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きますが、それまでの6年を無駄にしたことが決定的でした。JRやNTTの民営化後の検証もできていませんでしたが、95年を境にそれどころではなくなってしまった。

河合:私の専門分野で言えば、95年は生産年齢人口(勤労世代である15~64歳)がピークアウトした年です。この時点ですでに、将来の内需の縮小、つまり「価格優位性による量的拡大」という日本型経営モデルが崩れることは決まったようなものです。ところが、ほとんどの日本企業が対応しなかった。私どもの2世代上がエネルギッシュな団塊世代なわけですが、彼らが企業の中核を担う地位に就いた頃から、新卒者の雇用を破壊してまで人件費を削り、価格優位性を保つ旧来モデルにしがみつこうという動きが目立つようになった。

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