真山仁さん(左)、河合雅司さん (撮影/写真部・高橋奈緒)

 結果として我々より少し下の世代で非正規雇用が増え、正社員でも昇給しにくくなってしまった。いわゆる就職氷河期世代ですが、その時、我々の世代はもっと声を上げなきゃいけなかった。「気の毒に」と他人事のように過ごしてしまったことへの反省の気持ちが、今になって強くなっています。

真山:過渡期を見過ごしてきたツケを今払わされています。この30年、企業は、株価を上げることしか頭になくて、壊してはいけないものを壊してしまった。残念なのは、「それ、おかしくないですか」と声を上げる人を、日本社会は大事にしないんです。それよりも、上にこびた人が得をし、偉くなる。最近は、若い人たちですらそれに抵抗せず、上手に抜けていく“成功者”がクローズアップされる。一方で、再び不動産バブルが起こり、個人投資家が増えて格差が広がっています。過去の反省を社会が生かしているようには見えません。結局、また同じことを繰り返すのかと。

河合:90年代半ばから刹那(せつな)主義がはびこっている気がします。渋沢栄一の「合本(がっぽん)主義(※1)」や松下幸之助の「井戸掘り論(※2)」のような、未来の公益のために「今これをやるべし」という思考が、急速に失われた。経営者は目先の利益を確保することしか考えていないし、政治家は次の選挙に当選することばかりを気にかけている。どうしたら自分だけ損をしないで得するかが価値基準になったような社会は、いつか破綻(はたん)します。

真山:私は小説家の立場で、現状に対してフィクションでもの申したいと考えています。つまり、時には最悪の状況をも想定して警鐘を鳴らし、未来に向けて取り得る選択肢を増やしたい。例えば小松左京さんが書いた、新型ウイルスが蔓延(まんえん)し人類が滅亡の危機に陥る『復活の日』(64年)や、『日本沈没』(73年)はコロナ禍や震災後に注目されました。それらを読んでいれば、ある現実を前に「まるで小松左京の世界じゃないか」と気付かされ、小説の中と現実との相違を分析するなど、我々の想像力は大いに刺激されます。

次のページ