半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「生き切ることは、空っぽになること!?」
セトウチさん
「何を描くか」の次が「如何に描くか」というのが絵の出発で、そのためにあれこれ無い知恵を絞って80年! いい加減に絵を描くのが嫌になります。嫌になりました。描くのに飽きたんです。というか考えることに飽きたんです。もう何も考えたくない。絵は考えで描くもんではない、考えがなきゃ、描かなくていい。描かなきゃいけない強迫観念も義務もありません。
ああ、描くことから解放された! パッと目の前が開けました。そしてその日からアトリエのソファに一日中寝ころがって、頭は空っぽ、すると不思議と眠くなるんですよね。この話は一年半ほど前の話。その内コロナ禍の時代になりました。毛頭絵を描く気などないけれど、描いたフリならできる。過去の人物画に全部口の絵を描いたマスク(前号参照)を装着して、SNSに発信して、またソファに寝たふりをしました。こうしたマスクアートは一日も休むことなく毎日発信して、現在は800点近くになるんじゃないかな。
側から見れば物凄く絵を描いているように見えます。機械的にマスクをつけるだけで、あとはソファにゴロンです。
頭を空っぽにして、そんな怠惰な日々を過ごしている時、フト頭というか意識の中にある強烈なイメージが浮かびました。確信に満ちたビジョンです。まるでテレパシーのような絶対的な印象です。それがこの書簡でも度々書く「寒山拾得」です。絵など描きたくないのに、まるで描けといわんばかりに威張って僕の意識に銃弾を打ち込むのです。もう描くことはないし、飽きているはずです。「何んじゃ、これは?」。
僕は描く意欲も好奇心もありません。向こう(誰だか知らないが)が描きたいだけの話で、僕の問題じゃないです。でも頭に齧りついたように、僕の意識から離れようともしません。「どけ!」と言ってもどきません。