

TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。山田詠美さんとのチック・コリアの思い出について。
* * *
先日チック・コリアが亡くなったことを知り、真っ先に思い出したのは「幼なじみ」のポンちゃんこと、山田詠美さんとの日々だ。
ポンちゃんが『ベッドタイムアイズ』で文藝賞をとったばかりの1985年、僕がディレクターをしていた朝ワイドのパーソナリティー、詩人の清水哲男さんが河出書房の編集者だった関係で、千駄ケ谷の社屋で会うことができた。
駆け出しディレクターの僕は、オープンリールの取材用テープレコーダー「デンスケ」とマイクを抱え、応接間の扉をノックした。ポンちゃんは部屋の隅にひとりで座っていた。応接間は薄暗く、表情がわからない。
「こんにちは」とポンちゃんが小さい声で言い、そんな彼女に「僕は山田さんの小説が大好きなんです!」と思わず口走った。付き合いは、それ以来ずーっと。
ポンちゃんは僕の文章の先生でもある。僕が小説のようなものを書いた時には、「ちょっと見せてごらん」と濃い鉛筆であちこち直してくれた。「小説には必ず伏線があり、それが最後になって生きてくる。のぶちんの小説には善人ばかり。悪役も必要なんだよ。引用は少なめにすること。あなたの作品なんだから」
一言一言を全て覚えている。ポンちゃんに手取り足取り教えてもらったおかげで小説の新人賞も受賞することができた。
『ラビット病』に出てくる恋人たちのように、僕らはそれこそ毎週のように飲んだ。
彼女を囲む担当編集者も若かった。僕は畑違いのラジオだったが仲間に入れてもらい、新宿や吉祥寺で飲むだけでは飽き足らず、バンドを組んだりジムに通ったり、互いの家を行き来し、連れ立って温泉へも出かけていった(部屋飲みで、朝になるまでどんちゃん騒ぎをした)。
清水哲男さんのラジオ番組には10分間のマイクスケッチのコーナーがあった。「音」と「音楽」で東京の街を表現するものだ。