爆発で上部が吹き飛んだ同原発3号機の原子炉建屋=2011年11月 (c)朝日新聞社
爆発で上部が吹き飛んだ同原発3号機の原子炉建屋=2011年11月 (c)朝日新聞社

『東京に原発を!』など多くの著書を通して40年にわたって原発の危険性を訴えてきた作家・広瀬隆さん(78)は、福島第一原発事故10年に何を思うのか。本誌で連載した「原発破局を阻止せよ!」スペシャル版として、寄稿してもらった。

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 今年2月13日夜、福島県沖でマグニチュード7.3の大地震が起こって、原発がずらりと並ぶ浜通りで、最強の揺れ震度7とほとんど同じ「震度6強」の揺れとなった。東京でも、揺れがだんだん大きくなり、いつまでも揺れているので、10年前を思い出してこわかった。「相馬市で常磐自動車道に崖崩れが起こり、通行不能」というニュースが出たが、このあたりの人口は10年前の福島原発事故前の4分の1程度に激減しているんだよ。福島原発の至近距離を通る国道6号線が開通したのは2014年9月で、その時、東京の200倍の放射線量なので、自動車の外に出られないどころか車の窓も開けられなかった。今回の地震で崩れたのは、それと並行してやや西側を走る常磐自動車道で、同年12月に開通した時、オートバイは走行禁止だった。意味が分かる? 自動車の中にいれば何とか呼吸してもいいが、オートバイの運転手は危ない。それより原発に近い国道6号にあるJヴィレッジでは、平均的な放射線量の1000倍を超えたが、そこから東京オリンピック聖火リレーをスタートしようとしてきたのだ。

 日本には、2021年3月現在、二つの緊急事態宣言が発令中である。コロナの緊急事態宣言は誰にも理解できるが、原子力緊急事態宣言は2011年に発令されてからもうすでに10年たっても、まだ発令中である。なぜかって? 福島第一原発が爆発して、大量に放出された放射性セシウム137は、大地と山中に降り積もり、放射能の半減期が30年なので、30年で半分にしかならない。セシウムの放射能が安全な1000分の1まで減るのに計算すると300年かかるんだ。今の科学では自然消滅を待つしかない。300年前というのは、江戸時代の第八代将軍・徳川吉宗の治世だ。このセシウムは永遠にゼロにならない。福島原発事故からもう10年もたったんじゃなくて、まだ10年しかたっていないから、緊急事態が続いているのだ。セシウムだけでなく、半減期28年以上のストロンチウム90も、どこにも消えないから、グルグルと日本の国内をまわっている。事故で避難した人にとって、放射能というのは背中に貼り付いたようにおそろしい言葉だという。福島県の住民は、震災の時にガソリンがなくて、放射能から逃れられなくなる恐怖を味わったから、いまだに自動車のガソリンを満タンの半分以下にできない。今も第一原発から出続け、漏れている放射能をおそれているのは、当然のことだ。

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広瀬隆

広瀬隆

広瀬隆(ひろせ・たかし)/1943年、東京生まれ。作家。早稲田大学理工学部卒。大手メーカーの技術者を経て執筆活動に入る。『東京に原発を!』『危険な話』『原子炉時限爆弾』『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』『第二のフクシマ、日本滅亡』などで一貫して原子力発電の危険性を訴え続けている。『赤い楯―ロスチャイルドの謎』『二酸化炭素温暖化説の崩壊』『文明開化は長崎から』『カストロとゲバラ』など多分野にわたる著書多数。

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