林:私、びっくりしたんですけど、安部公房さんのところにいらっしゃったんですか?

浅野:そうなんです。安部公房スタジオに。

林:安部公房さんって難しそう。私、とにかく小説は読まなきゃという感じで背伸びして読んだら、やっぱり難しかったです。お芝居もさぞかし難しかったんでしょうね。私、安部さんのは見たことないんです。

浅野:まあ、時代の思想的なものを先取りしてたところがありますよね。僕なんか理解できてないところもいっぱいありました。だけど、役者を仕事にしようと確信したのは安部公房さんがきっかけですね。あそこを受けて一回落とされたんです。安部さんに「また来年受けに来なさい」と言われて、そのときに「あ、これは自分の仕事なんだ」って確信しました。そこまではただ好きでやってきただけなんですけど。

林:私の周りにも演劇を志す若い人が何人かいますけど、皆さん食べていくのが大変で、アルバイトしてますよ。浅野さんは最初からちゃんと生活できてたんですか。

浅野:もちろん生活はできてないですけど、安部公房スタジオは、バックに堤さんがいらしたので……。

林:堤清二さんですか?

浅野:はい。堤さんは安部さんの東大の後輩になるんですね。芸術に造詣の深い方だったので、パトロンみたいな形になっていたんです。だから西武劇場ができたとき安部さんの芝居がこけら落としだったんですよ。まだあのころは振り込みじゃなかったから、現金でポンと40万円くれたんです。

林:けっこういい額じゃないですか。

浅野:すごいです。びっくりしました。そういうバックがあったんですけど、年に1回だけしかないですからね。食ってはいけないんですけど。

林:堤さんは経営者としてもカリスマだったし、文化の象徴的な方でしたよね。浅野さんはあの70年代から80年代のいちばんいいときを経験されたんですね。

浅野:ただ、あのころアングラが盛んになってきて、まだ新劇もあったし、僕らその狭間というか、中途半端なところにいたんです。だから最初は注目されたけど、だんだん注目されなくなってきたんですね。唐十郎さんとか蜷川幸雄さんなんかの芝居がどんどん出てきたので、僕らはだんだん隅のほうに行って。

次のページ