「大丈夫! たまたまコロナで、人の出入りがないから、誰もわかりませんよ!」と妙な慰め方をしてくれます。その間にも顔は紫色から青赤黒になり、漫画を通り越し、ヨコオさんの妖怪の絵になりました。痛さは通り越して感じられません。初めて見るとギョッとして、次に怖く、次に可哀(かわい)そうになり、次に吹(ふ)き出したくなる顔です。

 私はよく顔にけがをしますが、今度はその最高でした。本来脚の先が痛いので血管の詰まりを治す手術をする入院の予定が、この転倒で早められ、入院の間、仕事をしようとしたものの、さすがに顔がかっとなって何もことばが浮かびません。ああ遂(つい)に、寂聴はここで文章の世界から追い払われるのかと、涙がこみあげてきました。涙が頬に流れると、顔全体がヒリヒリして震え上がります。そっと鏡を覗(のぞ)くと、再びその場に卒倒するほどショックを受けました。私はお化けです。この傷は一か月や二か月では治らないでしょう。テレビに出るなんてもっての外です。

 三か月たっても顔がこのままだったら、私は自殺するしかない。いや! 今、自殺報道が続いていて、私はつい昨日、雑誌に「自殺は殺人である。やってはいけない」と、偉そうに言ったばかりである。ああ! 人間の生涯の八割は、顔で生きているかもしれない。もう九十八年も生きたから、死んでもいいか! いやいや死顔(しにがお)も美しくあらねばならぬ、宇野千代さんの死顔は最高に美しかった。悩みというのは、限りがない。

 そんな次第で、私は今、病院に入院しています。ヨコオさんに逢(あ)いたいし声を聴きたいけれど、この顔で逢うのは死んでも厭です。まなほに、私の写真を撮ってヨコオさんに送ってと頼んだけれど見た?

 時間がたてば治りますと、医者はいう。私は憮然(ぶぜん)として、時間とは何時間かと鏡の中の真っ黒の、異人の顔を見つめています。

 当分ヨコオさんに逢えない。ああ!

週刊朝日  2020年11月13日号