林:ほぉ~、文学少女が理系に行ったというのがおもしろいですね。

岡田:それは母が「手に職を」と言ったからなんですけど、こういうことが起きたらこうなりそうだという想像力は読書で培われたと思います。それから私は人の気持ちに対する共振性が強いんですよね。共振する気持ち、共鳴する気持ちが強いから、ものを書くことにプラスになっているんだろうと思います。でも、それは一方で、私の生き難さでもあって、つらさでもあります。

林:眉村さんが「君は小説を書く人だ」とおっしゃったの、私、わかりますよ。この雰囲気、女の作家特有の雰囲気です。

岡田:ほんとですか? 実は某出版社から小説を依頼されたまま、書いてないんです。

林:きのうもみんなで「これから文学者は何ができるか。このコロナを見つめて何かやらなきゃいけない」ということを話してたんですけど、岡田先生、ピッタリじゃないですか。

岡田:仲間に入れてください。私、宮尾登美子先生の『櫂』という小説が大好きで……。

林:私も大好きな小説ですよ。

岡田:『櫂』の中にスペイン・インフルエンザが出てくるんですね。「高知の町に一人二人病んだ人が出たと思ったら、一、二日のうちには人っ子一人いなくなって、飴湯売りの声も按摩のピーも聞こえなくなった」とありますよね。

林:よく覚えてますね。

岡田:「妊み女を狙い撃ちにしている。このスペイン風邪が過ぎ去った後、その年生まれの子供が小学校に入学するとき、生徒の数が例年の半分にも満たなかった」って。これ、統計にピッタリ合うんです。

林:45万人もが死んだんでしたっけ。

岡田:当時日本の人口が5500万人だったのですけれど、その日本で犠牲者45万人以上と歴史人口学から速水融先生が推計しています。当時、与謝野晶子先生は、横浜貿易新報に「あらゆる予防と抵抗を尽くさないで、むざむざと病毒の死の手」に落ちることは愚鈍であり怠惰であると、2回も政府に対して対策を訴えて書いておられます。

林:へぇ~、すごい話です。

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