セトウチさんが見ると、きっと「ヨコオさん、どうしたの、下手になってしもたね」と可哀想にという顔をして、そうおっしゃるでしょうね。寂庵も絵画塾になって、キャンバスや絵具(えのぐ)で荒れ放題のご様子。いよいよ本格化してきてたのもしいです。ここまで来たんだから、「ヤメタ!」なんていっちゃダメですよ。三人寄れば文殊の知恵とかで、大中小の三人の画家で刺激し合いながら、持続継続して下さい。

 絵を描いていると、疲れたとか、シンドイとか、腰がどうとかの騒ぎどころじゃないほど夢中になってしまうでしょ。文学には文学の魔力があるのかも知れませんが、絵の魔力は凄いです。言葉では表現しないことを表現しちゃうんだから、何かを超えますよ。病気どころか、生きるとか死ぬとかさえ超える未知のエネルギーが湧き出して、寿命もへったくれもなくなります。

 絵は生きながら死ねます。また死にながら生きられます。生死の境界を超える次元に魂が到達します。生きても死んでもどっちでもいい心境になります。絵は脳味噌(みそ)を空っぽにしてくれます。ある無しの無を超えて、空の世界にいっちゃいます。言っちゃ悪いけれど仏教を超える境域に到達します。とかなんとかいっちゃって、セトウチさんをそそのかす愉(たの)しみを、今味わっています。

■瀬戸内寂聴「ヨコオさんの日記、呑まず食わずで一気に」

 ヨコオさん

 一晩、ほとんど眠らず、あなたの「日記」を読み続け、体も頭もワーッとふくれ上がって、覚めているのか、眠っているのか、今やわからなくなっています。

『横尾忠則 創作の秘宝日記』という本を、つい、うっかり読み始めたら、面白くて止められず、食事もとらず、お酒も呑(の)まず、ただビールを水がわりにゴクゴク呑んで、ひたすら、一途にこの本に読みふけりました。

 なぜかって……とにかく止められないくらい面白いのです。私はヨコオさんと仲のいい友達になって、なぜか色事には無縁(色好みの私にしたら珍しくも)な清らかな仲が五十年余りも続いているので、ヨコオさんの家族の一員のようになっています。

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