知り合って以来、ヨコオさんはしょっちゅう入院して、ハラハラさせられ通しでした。

 こんなひ弱い男の子が、果たして育ちきるのかと思ったものです。そのうち、このけがや病気ばかりする青年か少年か、時に老年か、わからない人物が、まぎれもない芸術の天才だと悟った私は、嬉(うれ)しくて飛び上がりました。

 天才はみるみる育ち天才の花を咲きほこらせ、世界にその才能を認めさせました。

 天才は病身で、年がら年中、けがをしたり熱を出したり、躰(からだ)じゅう痛がったりして入院をくりかえしていました。目も耳も弱くなり、面と向かって話をしても、相手の言葉は七分くらいしか聞こえないという次第です。それでも私たちはほとんど暗示のような会話を電話でしあい、理解を深めてきました。

 ところがこの日記、二〇一六年五月九日から始まり、二〇二〇年六月一四日まで連日続いたのを、ヨコオさんは一日も休まず書き続けているのです。

 しかも毎日、くわしく行動や感動や、深い感想など、どこを読んでも、読み応えのある面白い記事で埋まっています。面白いのは、ヨコオさんが、自分の行動や、感動を、何一つ残さず、心をこめて書き残してあるからです。愛がヨコオさんのふとんにおしっこしたことも、ネズミをとり損ねたことも、さも事件のようにくわしく書き留めています。御自分の作品が外国で展覧され、千人もの見物が入ったことなど、さらりと書いてあるので、読む方は、すぐれたニュース映画を観(み)せられているようです。

 私の新聞連載小説「幻花」のさし絵を描いてもらった原画が、それはすばらしく、原画が新聞の印刷絵より、はるかに見事なので、展覧された原画は、目が覚めるように、瑞々(みずみず)しいので、千人も見物が入ったりします。世界の方々から、展覧会の予約や、絵の注文が来る事も、さりげなく書かれているので、読み手はドキドキし通しです。およそ色事は書かれていないのに、どの頁(ページ)も匂うような色気に満ちています。私は日記がどうしても続かないので、ヨコオさんのこの日記文に真に驚嘆してしまいました。一晩、ほとんど呑まず食わずで、読みふけって、満たされました。

 私の名の出た頁に付箋(ふせん)をさしていけば、思いの他の頁になり、眩(まぶ)しくなりました。私が死んだら、この日記が私の資料の重要なものになることでしょう。

 この日記一つを見ても、ヨコオさんは異常な天才です。

では またね

週刊朝日  2020年10月16日号