清原和博が「火の玉みたいや」と脱帽した阪神・藤川球児の残り火 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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清原和博が「火の玉みたいや」と脱帽した阪神・藤川球児の残り火

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粟野仁雄週刊朝日
引退発表会見に臨む阪神の藤川球児投手(C)朝日新聞社=2020年9月1日

引退発表会見に臨む阪神の藤川球児投手(C)朝日新聞社=2020年9月1日

 打者の胸元で浮き上がるような「火の玉ストレート」でシーズンセーブ数46のセ・リーグ記録や38試合連続無失点の日本記録などを持つ阪神タイガースの右腕藤川球児(40)が9月1日、自ら引退を発表した。

 西宮市で会見した藤川は「すべてに準備することがモットー。今年、準備していく中で、2回連投になることすら、あれって思った。これは体がおかしいと。いよいよ来たなと」と引退動機を語り、「いつ潰れてもいい覚悟でやってきた。粉骨砕身で……」と涙をこらえた。

 高知県出身。「球児」の名は父親が草野球でノーヒットノーランを記録した翌日に生まれて名付けられた。高知商業高校では兄とバッテリーを組んだ。1998年のドラフト1位で入団したが数年間は鳴かず飛ばず。しかし、先発から抑えに回って力を発揮し出す。阪急ブレーブスの豪速球投手だった山口高志2軍コーチの指導でフォームを改造し、球速が格段にアップした。

 2005年には久保田智之、ジェフ・ウィリアムスとともに抑えの「JFK」の切り札としてリーグ優勝に貢献した。

 12年に大リーグに移籍。シカゴ・カブスとテキサス・レンジャーズで3シーズンを投げた。レンジャーズの自由契約で四国独立リーグを経て16年秋にタイガースに戻った。同世代には西武の松坂大輔、ソフトバンクの和田毅らがいる。

 昨年は全盛期を思わせる速球が復活し16セーブをあげたが、今季は腕の不調で2セーブ、1軍登録を抹消された。

 多くのファンが覚えているのは06年7月21日のオールスター第1戦だ。神宮球場のマウンドでパ・リーグの主砲・カブレラ(西武)に対し、腕を突き出してボールの握りを見せ、直球だけを投げ続けてカブレラと小笠原道大(日本ハム)を連続三振に仕留めた。

 05年4月の対巨人戦で2死満塁から変化球で清原和博を三振にした。直球に絞っていた清原は「ケツの穴が小さい」などと下品な言葉で挑発した。だが同年6月に直球で三振に討ち取られると、清原は「完敗です。うなっとった。火の玉みたいや」と脱帽した。


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